道義国家批判
2016年7月31日 投稿者:宮司
今年、7月13日、外国特派員協会での記者会見の席上、日本会議会長の田久保忠衛氏は、これからの日本は、道義国家を目指すという発言をしている。外国人記者も驚いたようだが、その理由は後述するとして、最近、各所で、道義国家という言葉を聞くようになった。安倍首相を礼賛する人々は異口同音に、「道義国家」日本の建設を目指すべきという。もちろん、神社本庁が一貫して、「道義国家」を目指していることはご承知のとおりである。
この、「道義国家」をネットで検索してみると、たくさん出てくるが、全て肯定的な賛成論ばかり。ちなみに「道義国家批判」を検索してみても、批判論はほとんど見られない。日本の政治学者や法学者は何をしているのかと言いたい。巷間、「道義国家」が良いものであるかのように世論が定着したら、責任は、学者たちにあると言いたい。これほど、否定や批判が容易であるものを、どうして知らぬ顔をして見過ごしているのか?
そこで、今回は、この「道義国家」を詳細に吟味し、これがいかに危ない考えであるかを論証しておく。 続きを読む
神社本庁の取るべき道
2016年7月28日 投稿者:宮司
父の跡を継ぎ、25歳で神職になって以来、私は一貫して、神社本庁を批判し続けてきた。私の批判は、一定の支持を得たが、神社本庁の目指す方向を変えることはできなかった。そのようにして40年が経過した。
今、神社本庁が目指してきたものが、この日本で実現しようとしている。その内容を分析し、それに代わって、神社本庁の取るべき道筋を提案してみる。
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権威主義の行く末
2016年7月24日 投稿者:宮司
現在、日本では、民主主義から権威主義への移行が起きようとしている。このまま進めば、最後は全体主義に行き着くことになるであろう。
私は、自身のブログの各所で、この現象に対する警鐘を鳴らしてきた。そして、全体主義がいかに時代錯誤のものであるかということも説明をしてきた。
ここでは、それらをまとめて、権威主義の行く末について説明してみたい。
権威主義の行く末
東アジアでは、権威主義が受け入れられやすい、という議論がある。この地域の多くの国々の近代化の初期において、権威主義的な経済政策が比較的うまくいったということが一つ、個人意識と民主主義の確立が国民自身の手で行われず、欧米から移植されたものであることがもう一つの理由である。
現在、日本では、民主主義から権威主義への揺り戻しが起きているように見える。果たしてどうなるか? 続きを読む