宮司のブログ

こんにちは。日吉神社の宮司を務める三輪隆裕です。今回、ホームページのリニューアルに伴い、私のページを新設してもらうことになりました。若い頃から、各所に原稿を発表したり、講演を行ったりしていますので、コンテンツは沢山あります。その中から、面白そうなものを少しずつ発表していこうと思います。ご意見などございましたら、ご遠慮なくお寄せください。

国家消滅の時代

2023年2月27日   投稿者:宮司

 21世紀は、ゆっくりと国家が消滅する時代となると予想する。

 国家とは何か?

 人類は、長い間、種の生存のためだけに格闘していた。多くの亜人類、北京原人やネアンデルタール人といった人類亜種の生命体が死滅したのは、種の生存に失敗したからである。

 しかし、ホモ・サピエンス、つまり現在の人類は、食糧の確保のための革命的な変化を起こすことによってそれを可能にした。つまり、第一次の産業革命ともいうべき、食用植物の栽培化と食用動物の牧畜化である。これにより、食糧の安定供給を確保した人類は、さらにその貯蔵を志向し、人類という個体の増殖を図った。

 しかし、食料や生活必需品の確保は、第二次産業革命、すなわち工業化が始まるまで、爆発的に発展することはなかった。つまり生産力はそれほど伸びなかった。

 このような時代にあって、少しでも生産力を伸ばし、また富を安全に確保するために、人々は連帯し、小国家が生まれた。小国家はより強く、より大きくなるために中規模国家から大国家となり、互いの富を奪い合うための戦争が頻繁に起きた。第二次産業革命以前の戦争は、富を奪うための戦争であり、戦争に勝つために、集団は序列化し、軍事は専門化した。ここで、一般の人々と、国家を代表して戦争を行う人々との間の乖離が起きていった。洋の東西を問わず、古代から中世にかけて、国家は、それを代表する王族、貴族と軍事集団のものであり、一般民衆とはかけ離れた存在となっていった。

 それが劇的に統合され、戦争が国民一体となって戦わなければならないものとなったのは、啓蒙思想が生まれ、すべての人々の合意によって社会、すなわち国家が成立するという考えが一般化してからである。ナポレオン戦争に始まる国民国家の誕生である。その後、国民国家は民族自決主義と結合し、19世紀から20世紀にかけて多くの国家を誕生させた。

 一方で、第二次産業革命によって生産力を飛躍的に高めた人類は、個体数を劇的に増加させ、人口爆発の状態を生んだ。その状況下で、人類は国家間の競争を通じて富と強さを求め、帝国主義時代となり、第一次、第二次の世界大戦を経験した。

 階級闘争の激闘から生まれた共産主義は、一時的に地球の半分を制するほど広がったが、基本的にそれらの国家さえ、世界革命の理想とは裏腹に、指導者と官僚、軍人を柱として帝国主義的な国家となり、現代に形を変えて続いている。

 20世紀の終わり頃から始まった第三次産業革命ともいうべきインターネット社会の到来は、21世紀の始まりにグローバル・サプライチェーンを完成させ、初めて、人類が全体に共同して生産力を高め、生活の質を高めていく構造を作ることに成功した。近代化の完成である。

 ここに至って、人類は、国家という壁を越えて。個々にインターネットを通じて結びつき、情報を共有することができるようになった。もちろん国家はそれを妨げるためにさまざまな規制をかけ、誤情報も流している。しかし、インターネットを通じて人々が独自に結びついていくことをすべて妨げることは不可能である。

 国家の壁を乗り越えて、人々が情報を共有し、独自に結びついていく道はすでに開かれている。これからは、国家と国民の乖離が再び始まるであろう。

 経済的にはグローバル・サプライチェーンにより富の豊富化が可能であることを確信した人類は、もはや戦争を必要としていない。すなわち、国家を越えて結びつくことにより、富を得ることができるのである。もはや国家や戦争は必要ではない。もう一つ、個体数の劇的な増加によって環境や資源の問題に直面した人類は、世界規模で連携しその解決に向かう必要に迫られている。その意味でも、国家や戦争は必要ではない。

 その明確な例がEUの成功である。NATOと言っても良い。国家を越えた結びつきにより、より安全で、より豊かとなる道が開けることを加盟各国は実感している。

 今一つの例は、アメリカ合衆国である。各州が独自の法律体系を持ちながら合衆国法で連携し、成功している様は、国家の統合がより強くより豊かとなる道があることを示している。ただし、国民が啓蒙思想を理解し、民主主義を尊重していることが必要条件となる。かつてのソ連邦のような官僚統制と強制的な法律による国家連合は失敗する。

 以上のような考えに立てば、21世紀中にゆっくりと、国民国家が消滅していくことは容易に想像できるのである。

 それでは、国家と国民の乖離が進んだ場合、どのような社会が予想されるのであろうか?

 まず、社会は無秩序となることはできない。そこで、社会生活の枠組みを規定する法律とそれを維持するための組織、そして一定の富を徴収して、社会全体のために振り分ける組織は最低限必要となる。したがって、地方自治体的な国家が引き続き存在することとなる。その法律の内容によって、個人の自由と平等がどのようにバランスされるかが決まってくる。それはその地域を構成する人々の意見によって定められることとなる。

 問題なのは国防を担う軍事力だ。今後は、世界的な民意によって、軍事力を世界的に共同化するシステムが構築されるであろう。すなわち各地域の個別の境界を国際法を犯して侵略することを防ぐための軍事力の共同化である。始まりは、国際的な領域紛争を防止するために各国が一定の軍隊を拠出して国際連合軍を作ることが望ましい。幸い、軍事技術は進歩し、互いに兵器は共有化できるようになってきた。今後は、軍事力の共同化によって安全保障が担保されるべきだ。民意がそれを望むことにより、国家は連携できていく。そして、そのための経済、文化、学問等他の領域でのグローバル化の下地はすでに作られている。あらゆる面でグローバル化が進めば、もはや国家が国境を犯して国土を広げることは何の意味も持たなくなるであろう。             (2023/02/27)

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