宮司のブログ

こんにちは。日吉神社の宮司を務める三輪隆裕です。今回、ホームページのリニューアルに伴い、私のページを新設してもらうことになりました。若い頃から、各所に原稿を発表したり、講演を行ったりしていますので、コンテンツは沢山あります。その中から、面白そうなものを少しずつ発表していこうと思います。ご意見などございましたら、ご遠慮なくお寄せください。

少子化対策という愚策

2023年1月11日   投稿者:宮司

 岸田政権が本格的に取り組むとしている少子化対策は、愚策である。

 何故か?

 本来、近代化を達成して便利になった社会に住む人々は、必ず、核家族化し、少子化社会をつくる。

 これは小手先の育児対策や子供手当などで、覆すことができる傾向ではない。確かに、少しは出生率が改善されるであろう。それは近代化と少子化が先行した西欧諸国の例を見れば理解できる。しかし、それとても、根本的な改善にはつながっていない。

 もう少し大きな視点で考えてみることだ。20世紀は人口増加の時代であった。世界の人口が100億を超えてさらにその先まで増え続けるとするならば、一体、地球は人類の居住地として適切であり続けるのかということが話題となった。極端な論者に至っては、戦争や疫病で人口を減らすことが必要であるといい、人口削減のための策が権力者たちによって色々と講じられているはずだというようなありもしない陰謀論を声高に言い募る人々もいた。近年のコロナワクチンは人口削減の手段であるといったデマはその一つである。

 結局、人類は将来的には、地球を故郷として、宇宙へ植民するという仮説が立てられ、それがSFの題材となった。

 ところが、21世紀に入って、一転して、人口減少が将来の人類の最大の課題であると言われるようになった。つまり、近代化を達成した社会では、人口減少が起きるのは、人類史的な必然なのだ。それによって、世界人口が調整され、人類は宇宙へ脱出することも、互いに殺し合うことも必要でなくなるのだ。

 もう少し、細かく考えてみよう。近代化は、急激な経済成長に伴って達成される。それはまた、田舎から都市への急激な人口移動を伴う。田舎は大家族の共同体社会である。そこから人々が都市に移動すると、人々は会社や工場や店舗や役所で働くようになる。そして互いにすれ違って暮らす「孤独な群衆」となる。つまり機能集団や集列集団を中心とした社会に変わっていく。家族形態は核家族や単身世帯が中心となり、少子化社会となる。これは必然である。

 しかし、その始まりの頃は、田舎から都市に移住した若い人々が結婚し、子供を産み、消費社会を作り、そして生産に従事するので、経済の好循環が生まれ、高度経済成長が始まるのである。

 つまり、近代化は高度経済成長を生み、次に少子化社会を生み出すのだ。

 このように考えると、近代化が達成された社会で、出生率を上げようとするのは、社会の流れに逆らう行為だ。しかし一方、少子化社会は、高齢化社会でもある。生産年齢人口は急減し、高齢者の年金や医療を支える社会の経済力は減少する。少子化対策が叫ばれる所以である。

ではどうするか?

 答えは簡単である。まだ近代化が達成されていない社会、すなわち発展途上国から若者、つまり生産年齢世代の人々を日本に迎え入れるのだ。発展途上国は昔の田舎であると思えば簡単に理解できる。田舎から都市への若い人々の移住が高度経済成長を起こしたように、発展途上国から都市、つまり近代化された日本への移住を促せば、同様の経済成長が再び起動するであろう。

 ただし、そのためにはいくつかの法整備が必要となる。まず、移住してくる人々に、国民同様の納税義務を果たしてもらい、年金や医療のサービスや経済行為の自由を国民同様に保障し、日本に住み着き、子供を産み育てることができるようにすることが必要だ。参政権は徐々に認めれば良い。互いに違う文化の摩擦による社会不安を起こさないための準備も必要である。このような段取りを経て、2千万人くらいの若者を新しく国民として迎え入れれば、間違いなく、少子化対策より簡単に世代の人口バランスが整い、新規の経済成長が起動するであろう。

 思い切った政策であるが、先進国がこのようにして、発展途上国の人々を受け入れれば、より早く全人類が近代化した社会で暮らすようになり、世界人口の増加が止まり、環境や資源の問題も解決の方向に向かうであろう。これは現代の、あらゆる面で人々がグローバルに結びついた状況の中で初めて可能なことであり、今まさに行うべき時である。(2023/01/11)

世界-日本-経済