宮司のブログ

こんにちは。日吉神社の宮司を務める三輪隆裕です。今回、ホームページのリニューアルに伴い、私のページを新設してもらうことになりました。若い頃から、各所に原稿を発表したり、講演を行ったりしていますので、コンテンツは沢山あります。その中から、面白そうなものを少しずつ発表していこうと思います。ご意見などございましたら、ご遠慮なくお寄せください。

SNSの規制はいかにあるべきか

2021年4月3日   投稿者:宮司

 昨年の米国大統領選挙を巡る騒動の中で、SNSの規制はいかにあるべきかが、議論されるようになった。

 米国のいわゆるInstagram(インスタグラム)、Twitter(ツイッター)、Facebook(フェイスブック)、Til Tok(ティックトック)などは、SNSプラットフォームの主流である。しかも現在、次世代のプラットフォームも次々と生まれようとしている。また、日本ではこれらに加え、ラインが無料通話アプリとして主流となっている。中国では、ウェイボーやウェイシンが主流であるが、これらは中国政府の監視下に置かれている。これらプラットフォーム各社にハードとソフト両面で営業の場を提供しているのが、GAFAである。GAFAは、グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾンの四大情報企業であり、これにマイクロソフトを加えて、5大情報企業GAFAMともいう。Big-Tecとも呼ばれる。

 これらの巨大企業は、世界の情報産業を支配し、人々は同一のハードウエアーやサイバー空間を使用することによって、大きなネットワークを形成し、プラットフォームが提供するSNSで繋がることにより瞬時に情報を世界中に行き渡らせている。

 個人を起点として、世界中の個人が繋がることができるようになるということは、使い方を誤らなければ、民主主義を世界全体に適用させるためには誠に便利なツールであり、これが、情報革命(第三次産業革命)と呼ばれる所以である。

 しかし、技術というものは、常に裏表があり、昨年の米国大統領選挙においては、裏の面、すなわちマイナスの面が顕となった。それは前米国大統領のトランプ氏がツイッターを利用して、虚偽の情報をばら撒き、それがSNSを介して米国、日本を中心とする世界中にフェイクを拡散させ、虚偽主義の世界(を信じる人々)を創造してしまったという現象のことだ。

 もともと、プラットフォームを提供する各社は、基本的な情報倫理規定を定め、明らかに虚偽を報じたり、反社会的な行為を煽るようなSNSについては、これをチェックし、場合によってはアカウントを閉鎖するような自己規制措置をとっていた。これについては賛否両論があり、特に、米国でアルバイトの一従業員が自己判断で或る個人のアカウントを削除したことが明るみに出て以来、プラットフォームによる自己規制は表現の自由を妨げるとの主張が強くなり、米国通信品位法230条が可決され、SNSの内容に対するプラットフォームの社会的な責任が問われることは無くなった。

 しかし、それ以降も一応、プラットフォーム各社は、SNSの内容をチェックしていたと思われる。しかし、トランプのツイッターはそれが大統領のものであるがゆえに、明らかに虚偽とわかっていても、停止または削除されることはなかった。ファクトチェックが必要であるというコメントが付け加えられただけだった。それが1月6日の市民による米国議事堂襲撃事件を誘発したので、ツイッター社もフェイスブック社もためらいなくトランプのアカウントを閉鎖した。

 この点について、ドイツのメルケル首相は、表現の自由を一企業が独断で妨げることに危惧を抱いていると声明を出した。日本でも同様の主張をする人々がいた。しかし、この問題について同様の主張をする人々は、国家の法律に基づいた規制を擁護するのであり、それは、中国政府のSNS規制の方法と似通っている。米国では、銃規制の法律がないように、政府による規制をできるだけ行わないことが伝統であり、その意味では、私企業の判断に委ねるということは正しい。

 つまり、ここで、問題にされなければならないのは、国家による規制を選ぶのか、国民、または何らかの集団(企業グループを含む)による規制を選ぶのかということである。表現の自由を無際限に認めれば、SNSというメディアでは、虚偽主義がはびこるという実害があるということがわかった以上、なんらかの規制が必要となる。

 新聞や雑誌という他のメディアでは、虚偽を報道し、訴訟に発展した場合、著者だけではなく出版社もその対象となり、社会的責任を問われる。従って掲載内容について自己規制を行う。プラットフォームにもそれがあった方が良いとの意見も成り立つ。

 これに対し、国家が法的根拠に基づき規制を行えば、社会倫理の維持というより体制維持のための規制となってしまう可能性があり、それは、強い管理社会を生み出しかねないという危険性がある。それを避けるためには、規制内容を監視する民主的なシステムが必要である。 

 どちらが良いかは、歴史が判断するであろうが、どちらにしても、情報を管理し利用する人々と、情報を発信し利用される人々という二種類の人間が生まれることとなる。

 次の情報革命以降の世界はこの格差をどのように是正していくのかが問われることとなろう。
これはまさしく、ハラリのいうデータとアルゴリズムが支配する世界なのだ。           (2021/04/03)

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