宮司のブログ

こんにちは。日吉神社の宮司を務める三輪隆裕です。今回、ホームページのリニューアルに伴い、私のページを新設してもらうことになりました。若い頃から、各所に原稿を発表したり、講演を行ったりしていますので、コンテンツは沢山あります。その中から、面白そうなものを少しずつ発表していこうと思います。ご意見などございましたら、ご遠慮なくお寄せください。

ユダヤ・ナショナリズム

2021年3月14日   投稿者:宮司

 近年は、グローバリズムの進展とともに、ナショナリズムの相対的な評価が生まれ、ユダヤ・ナショナリズムともいうべきシオニズムに基づいてユダヤ人の国家として建国されたイスラエルに住むユダヤ人の出自についても、客観的な分析がなされるようになった。

 その代表的な著作ともいうべきシュロモ・サンド氏の「ユダヤ人の起源」を読了する機会があり、また、何人かのイスラエル在住のユダヤ人の親友もいるので、少し、ユダヤとイスラエルの問題について考えてみる。

 すでに日本でも、多くの人々が、ユダヤ人とは血縁的共通性を持っていない人々であることに気付いていると思う。ユダヤ人の共通項はただ一つ、ユダヤ教の信者であるということだけである。

 最も、厳密に言えば、日本民族と言われる人々も、血縁的な共通性は疑わしい。すでに、稲作開始の頃から、先住の縄文人と渡来系の弥生人の混血が始まり、シルクロードを通ってアーリア系の混血も一部はあったろうし、古代から、朝鮮半島や中国大陸からの人々の流入はかなりの数であったに違いない。現在の日本人の共通性は、その言語や風習といった文化的な側面のみによるものであることは、一段と進んできた遺伝子の研究によっても明らかとなっている。この文化的共通性は、比較的長期にわたって島国である日本列島に在住してきたことの結果である。 しかし、ユダヤ人の場合は、宗教とその戒律による生活様式の同一性のみに絞られている。シオニズムによって現在のイスラエルに居住するようになったユダヤ人は、北アフリカやスペイン南部からのスファラディ系のユダヤ人と、ドイツ、ポーランド、リトアニア、ロシアからのアシュケナージ系ユダヤ人に大別される。もちろん以前からイスラエルに住んでいたユダヤ人もいる。1948年の建国以来の流入であるので、言語や風習が同じとは言えない。日本語が教育と放送事業の発達によって共通化したように、現在のユダヤ人が使うヘブライ語も教育と放送の成果である。

 サンド氏の指摘によれば、紀元前のイスラエル地域の北部にあったイスラエル王国はアッシリアに滅ぼされ、その後の国民はどこへ行ったかわからない。これが失われた10支族である。南のユダ王国は農業国家であり、多神教の神々から唯一神としてヤハウェを信仰するようになっていた。この国がバビロニア(ペルシャ地域の古代国家の一つ)によって滅ぼされ、知識人たちがバビロンに移住し、その文化と宗教(ゾロアスター教)に触れ、一神教を完成させ、旧約聖書の物語を作ったのではないかという。これが紀元前七世紀あたりのことだ。バビロニアが古代ペルシャによって滅ぼされたのち、ユダヤの人々はハスモン朝ユダ王国を作り、地中海沿岸の各地域にユダヤ教の布教を始めた。これはキリスト教以前にローマへ一神教としてユダヤ教が入ったことを示している。また、この布教は北アフリカ地域にも及び、イエメンやカルタゴ、リビアのあたりにもユダヤ教の共同体ができた。後にスペインにも広がり、これらのユダヤ教徒の子孫がスファラディとなった。

 これらは、多神教から人間の理性に応えるように一神教が生まれ、また、一神教とは神と悪魔が対立する二神教的なものであるという、私の推論を裏付けるものだ。 紀元後に入って、キリスト教が生まれ、ユダヤ教と対立し、キリスト教がローマの国教となるに及んで、徐々にユダヤ教は内向きの宗教となっていった。しかし、6世紀の頃から、カスピ海と黒海の間に勃興した遊牧民の定住国家であるハザール王国は、ビザンチン帝国とイスラム帝国に挟まれていたので、その二つの国の宗教の根本ともいうべきユダヤ教に国家ぐるみで改宗することを通じて独立を維持し、その後11世紀初頭のハザール王国の滅亡とモンゴルの侵入によって、ハザール人たちはヨーロッパ東部から中部にかけて分散し、イデッシュ語(高地ドイツ語)を話す人々となった。これがアシュケナージである。

 ナチスが人種政策で最初の槍玉に挙げたのはジプシー(ロマ)であり、彼らをドイツから追い出したのち、ユダヤ人(殆どがアシュケナージ)に矛先を向けた。彼らをを追放しようとし、最後には収容所で大虐殺を行った。ナチスは、「血と地」の共同性に拘った。これは、18世紀に確立した国民国家(Nation-State)が、本来、国民全体の社会契約を基礎として国家が形成されるというものであったが、19世紀に入り、ドイツロマン主義やヘーゲルの国家論などに触発されて、「血と地(人種と郷土)」のような共通性(Natio)にその基礎を求めようとした誤った認識に根ざしていた。しかし、この誤認は、当時の民族自決主義の基ともなり、シオニズムの基ともなった。当時としては極めて当然の認識であったのだ。

 イスラエルの建国にこだわったシオニストたちは、ユダヤ教の神話であるユダヤ民族の離散を理由として、イスラエルの建国を成し遂げた。しかし、日本にも、アメリカ合衆国にも多様な宗教信者が共存しているし、逆に古代の祖先の土地に建国をということがすべての人々に認められるのならば、北海道はアイヌ共和国になるであろうし、アメリカはインディアンの国とならねばなるまい。イスラエルという国が不安定であるのは理由があると言える。
 
 イスラエルは、その建国宣言に、「イスラエル国家はそこに住むすべての人々の利益にかなうような国となる。この国家は、古のイスラエルの預言者たちによって説かれたような自由と公正と平和の原則に基づいて築かれる。社会的および政治的な権利の完全な平等が、信仰や人種や性による区別なく、すべての市民に保証される。また良心・信教・教育・文化の完全な自由が保証される。」と記している。
 
 米国国民が、その憲法に基づいて国家を形成しているように、イスラエル国民が民族的、文化的共通性を示すシオニズムではなく、極めて民主的な建国宣言に基づいてその国家を形成するようになれば、自ずからイスラエルの平和が訪れるであろう。       (2021/03/14)

世界-日本