宮司のブログ

こんにちは。日吉神社の宮司を務める三輪隆裕です。今回、ホームページのリニューアルに伴い、私のページを新設してもらうことになりました。若い頃から、各所に原稿を発表したり、講演を行ったりしていますので、コンテンツは沢山あります。その中から、面白そうなものを少しずつ発表していこうと思います。ご意見などございましたら、ご遠慮なくお寄せください。

希望の党とリベラル

2017年10月9日   投稿者:宮司

 本ブログの「健全なる保守」の中で、皮肉を込めて、現在の自民党を叩いた。なぜなら、自民党は、その綱領にあるように自由と民主主義に立脚する政党から、国家主義の政党に衣替えをしてしまったからである。本ブログ中の「神社本庁(日本会議)の見果てぬ夢」の中で明らかにしたように、安倍グループの政治研修会の中で、3年前にすでに、「国民主権、基本的人権、平和主義」をなくすことが憲法改正の真の狙いであると言明されている。自民党の憲法改正草案は、憲法9条の改正もさることながら、真の狙いは、国民主権と基本的人権の否定にあるということは、本ブログ中の「憲法改正運動の危険性」の中で述べたとおりである。従って、自民党は党名を変えるべきだ。さしずめ「大日本愛国党」とか「国家主義党」などと言った党名が適切であろう。

 
 戦後の日本では、大日本帝国の復元を狙う人々が保守であり、理想を追う進歩派の人々は、2種類に分かれた。一つは、アメリカデモクラシーを理想とし、もう一つはソビエト共産主義を理想とした。しかし、冷戦の終結とソ連の崩壊とともに、共産主義は目指すべき理想社会ではなく、大日本帝国同様の古い国家主義的な体制であることが明白となった。同時に、日本では、アメリカデモクラシーの理想も潰えたように思われる。これは近代化に伴う激しい経済成長と近代化の完成に伴う長期の景気停滞の中で、国民の政治意識が空白化したことが要因であろう。その結果、大日本帝国を目指す保守が、対米従属からの独立を目指す意識とともに復活し、一方では、共産主義(社会主義)という国家主義を目指す残滓のような人々が存在するという政治状況を作った。もちろん、対米従属は、一夜にして解消できるものではなく、独自の軍事力と経済力の整備無くしてはなしえず、よって、国家主義を目指す安倍首相も、海外では、民主主義を世界の共通価値として絶賛し、対米従属を表面的には続行するという二枚舌の政治となった。

 日本が、世界の未来とともに歩もうとしたならば、このような国家主義を捨てて、民主主義、資本主義、自由主義、人民(国民)主権、基本的人権といった世界の共通価値を取り入れた政治を行わなければならない。そうしなければ、再び、世界の孤児となり、袋叩きに合うであろう。

 従って、私は、「ただしい保守よ立て」と書いた。ここでいう保守とは、戦後の日本を貫通する、アメリカデモクラシーを守れという意味である。

 今回の突然の総選挙で、そのような政党が現れることを強く期待していた。そこへ、希望の党が現れ、また、立憲民主党が現れた。
 本来の、アメリカデモクラシーとは、アメリカの民主党がその強力な推進者であると考えて良い。共和党は、民主主義の政治ルールは、渋々ながら守っているが、時に、国家の利益や一部の人々の利益を強調し、差別と格差を作り出そうとするので、進歩的な感覚の持ち主は、総じて民主党を支持しているといって良い。これが、リベラルである。
 リベラルは、個人の自由を最大限に尊重する。しかし、差別や極端な格差を、一方では排除する。これが、基本的人権の尊重や、社会的弱者の救済となって政策化される。また、立憲主義を明確化し、人民主権のために、政治の透明化、開かれた情報公開を主張する。
 この内容に沿った政党を見てみると、まさしく、希望の党の政策がピタリと一致する。そこで、当初、私は、希望の党を健全なる保守と見て、大いに期待していた。
 しかし、最近になって、極めて残念なことだが、この党は、党首に問題があることに気がついた。小池党首は、自分の党の政策を本当に理解しているのであろうか?というよりも、理解する能力があるのであろうか?
 例えば、憲法改正について、自民党と同じ方向性であると主張しているようであるが、政策的には、全く逆の方向の憲法改正となることは、明らかである。安全保障については、現実に沿った体制を作るということで、これは自民党と同じ方向であるといって良いが、その他、基本的人権、国民主権、情報公開、弱者救済、こういった点では、政策は、明らかにリベラルな方向を提示しているので、自民党の憲法改正草案に一致できるわけがない。もし、政策の内容を理解していて、そのように述べているのであれば、典型的な二枚舌の政治家であり、信用ができない。
 安倍首相の場合は、立憲主義を絶対主義時代の欧州で市民が既成の権力を縛るために行った主張であり時代遅れだというくらいに、政治概念に無知であり、原爆投下の後にポツダム宣言が出されたと述べるほど歴史的に無知であるので、ナイーブというより他ない。しかし、饒舌であり、自在に嘘をつける人となりであるので、政治家ができるのであろう。
 小池党首は同じ人となりであろうか?それとも、知らぬ顔をして嘘をつく確信犯であろうか?

 何れにしても、希望の党の綱領と政策は、党首の作ったものではないであろう。そして、その内容は良い。国民主権、人権尊重、情報公開、原発ゼロなど、優れた政策である。現実的な安全保障体制の整備も納得できる。そのためには、憲法9条は改正の必要があろう。自民党の安保法の欠陥は、なによりも、憲法を無視して、強引な解釈改憲により法律を制定しようとした、そのコンプライアンスの欠如にある。旧民進党の人々が、この点で、安保法に反対であったならば、憲法改正を通じて安全保障体制を整備することに賛成したとしても、何ら矛盾はない。逆に言えば、自民党の安保法を戦争法であるとして反対した人々は9条改正に反対、つまり護憲勢力となれば、矛盾はない。マスコミは、この点の理解と説明が極めて不足している。

 ここで、なぜ、安全保障の体制の整備が必要であるかを吟味しておく。戦後、経済成長に特化して国力の進展を図った日本にとって、憲法9条は、極めて便利な条文であった。日米安保条約により、日本は、安全保障を米国と共有することになった。本来これは双務条約であったが、日本が米国に指導されて作った新憲法の中に9条があることから、日本は、これを盾にして軍事的な分担を負わなかった。しかし、世界情勢が変化し、米国も一国で世界の警察官であり続けることに無理が生じ、同盟国に分担を求め、日本にもその応分の責任分担を求めてきたのであり、その要請に応じざるを得なくなったのである。この状況は、さらに進んで、国連を中心として、各国の軍事力を世界の治安を維持するための警察力として管理していく方向に進むであろうと考えられる。一国の防衛のために軍事力を構築するということは、もはや時代遅れである。もっとも、隣国のロケットマンは勘違いしているようであるが。

 最後に、立憲民主党について述べておく。党の綱領は、立憲主義と民主主義に基づき政治を行うのであるから、良い。枝野党首は、もともと改憲論者のようであるが、私同様、民主主義をより強くする方向への改憲であると思われるので、これも良い。政策は、安倍政権の政策すべてに反対する方向となるようである。改憲反対ということになるであろうが、これは便宜的であろう。
 一番問題であるのは、守旧派ともいうべき、護憲勢力や社会主義派を内部に抱え込んだことである。いずれは、矛盾となって表面化するのではないか?

 結論から言えば、投票に値する、健全なる保守を目指す政党は、今回は、現れなかった。
 希望の党の政策はこのままで、本当にそれを理解し、実現していこうとする政治家が現れ、党首となって、日本の政治を民主主義の方向に戻してほしいと願うばかりである。 
 あるいは、自民党に、もう一度、謙虚に、党名や党の綱領に沿った、自由で民主的な政治をめざす指導者が現れてほしいと思う。
                (2017/10/09)

 

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