宮司のブログ

こんにちは。日吉神社の宮司を務める三輪隆裕です。今回、ホームページのリニューアルに伴い、私のページを新設してもらうことになりました。若い頃から、各所に原稿を発表したり、講演を行ったりしていますので、コンテンツは沢山あります。その中から、面白そうなものを少しずつ発表していこうと思います。ご意見などございましたら、ご遠慮なくお寄せください。

神社本庁(日本会議)の見果てぬ夢

2016年10月11日   投稿者:宮司

 これまで、神社本庁の思想を様々な角度から説明してきた。
 ここで、神社本庁の政策立案を担当する、神道政治連盟の政策委員会の最新の顔ぶれを見てみよう。敬称を略して表示させていただく。また、神社関係の役職を示す。

委員長 打田文博(小國神社宮司)
委員 田尾憲男(神道政治連盟主席政策委員)
同  大原康男(國學院大学名誉教授)
同  百地 章
同  茂木貞純(國學院大学教授)
同  伊藤哲夫
同  八木秀次
同  新田 均(皇學館大学教授)
同  塙 東男(笠間稲荷神社宮司)
同  大中陽輔(神社新報社)

 委員長の打田氏は、神道政治連盟の会長であるから、役務就任。茂木氏は國學院大学教授、神道祭祀学や戦後神道史の学者であり、日本文化についての共著もある。神社行政、政教問題を専門とする國學院大学名誉教授の大原康雄氏とともに皇位継承問題について発言している。塙氏は、有名な稲荷神社の宮司であり、神社界の力関係のバランスで、神道政治連盟に役職を得ていると考えてよい。大中氏は、神社本庁の機関紙の神社新報社からの出向である。田尾氏は、主席政策委員であり、古くから神社本庁の言論をリードしている。その考えについては、すでに、別稿「神政連の思想の問題点」で述べた通り、日本国憲法がすべての戦後の悪の元凶であるとする立場であり、谷口雅春氏と同じ思想を持っている。新田氏は、皇學館大学教授で明治以降の政教関係が専門であり、「新しい歴史教科書をつくる会」で活躍している。皇室は男系相続でなければならないとする立場だ。同じ皇學館大学名誉教授で平泉史学を継ぐ田中卓氏が直系相続で女系容認であるので、両者は火花を散らす論争をしてきている。また、新田氏は、早稲田大学の出身であるが、在学時、谷口雅春氏の思想に傾倒し、それを実践するニューソート研究会の会員であり、生長の家学生会全国総連合に所属し、その後、日本青年協議会の一員となった。その後輩が、憲法学と法思想史を専門とする法学者の八木秀次氏である。八木氏は特に、統一教会とも関係が深い。そして、統一教会は、日本会議設立時より深く事務局の運営に関与し、運動に関わっている。日本会議政策委員であり憲法学者の百地章氏、日本政策研究センター代表であり安倍内閣のブレーンである伊藤哲夫氏は、1968年から73年まで存在し、その後分裂した全国学生自治体連絡協議会、その後の日本青年協議会の同志であり、生長の家創始者の谷口雅春氏の薫陶を受けた人々であり、日本会議と深く繋がっている人々である。彼らの他には、日本会議事務局長の椛島有三氏、参議院議員の衛藤晟一氏、親学推進者の高橋史朗氏など。この人々の立脚点は反日本国憲法(國體と大日本帝国憲法の復活)であり、反ヤルタ・ポツダム体制(戦後の国際的な枠組みの否定)であり、反ヨーロッパ近代(民主主義と資本主義の否定)である。なお大原康雄氏は、彼らが若い時代から私淑している師の一人である。
 従って、神社本庁と日本会議のイデオローグは、現在では、ほぼ同じと考えてよい。
 ちなみに、平成24年当時の、同じ政策委員会の顔ぶれは以下のとおりである。これも敬称を略す。なお、委員長の吉田氏は、当時神道政治連盟の副会長であった。
委員長 吉田茂穂(鶴岡八幡宮宮司)
委員 田尾憲男(神道政治連盟主席政策委員)
同  大原康男(國學院大学教授)
同  百地 章
同  田中光彦(宮城県護國神社宮司)
同  高山 亨(乃木神社宮司)
同  門家茂樹(忌部神社宮司)
同  松本 慈(神社新報社)
 現在と比較して、明らかに、神職の委員が多数である。これは、次第に生長の家出身者の神社本庁に対する影響力が強くなってきたことを示している。率直に言えば、谷口雅春氏の思想を受け継いだ人々が、日本会議と神社本庁を主導し、統一教会の人々が、この人々の手足となって、強力にその思想の具現化を行おうとしているということである。安倍首相をはじめ、多くの保守系の人々が、彼らの主張に賛同し、現在の日本を動かしている。

 かつての神社本庁は、必ずしも同一のイデオロギー一色ではなかった。神社本庁の役員を司る人々は、硬直した戦前復古主義の人々が多かったが、学者たちはそうではなかった。例えば折口信夫氏やその直弟子であった西田長男氏、戦後の神社本庁の思想をリードした小野祖教氏、神社新報の論説主幹であった葦津珍彦氏、國學院大学学長であった上田賢治氏や阿部美哉氏などは、それぞれ独自の視点を持ち、多様性に富んでいた。現在でも、広く神社界を眺めれば、様々な思想の持ち主がいる。かくいう私がそうであるように、多様性は存在しているが、肝心の神社本庁の政策立案の部分を、特定の思想で同志的な連帯感を持つ人々に占有されている。これでは、神社界が現実の社会に即した柔軟な対応ができるわけがない。

 さて、神社本庁の主張する憲法改正の要点は、すべて日本会議、また自民党の憲法改正草案に盛り込まれている。その内容は、以下の通りである。

神道政治連盟発行 「誇りある日本をめざして」 より抜粋

いよいよ憲法改正の時期到来
 日本国憲法が昭和22年5月3日に施行されておよそ70年近くなります。この憲法は、敗戦により日本が占領支配下におかれていた時に、連合国軍総司令部(GHQ)が自ら、わずか一週間で、我が国の大日本帝国憲法を抜本的に書き改め、日本側にその受け入れを迫って作られたものです。残念ながら、その制定の過程においては、政府と日本国民の自由な意思は全く無視され、批判も検閲によって禁じられていました。
 本来であれば、昭和27年4月28日、サンフランシスコ平和条約が発効し、我が国が主権を回復して直ぐにでも日本人自身によって必要な改正を行うべきでした。しかし、我々の生活と我が国を取り巻く国際環境が大きく変わったにも関わらず、今日までただの一条も改正されることがありませんでした。
 憲法はこれまでのような、政府による無理な解釈に委ねるやり方ではもはや通用しなくなってきました。様々な欠陥を改め、現実との乖離をなくすとともに、大規模災害やテロなど予測しがたい新たな事態に備え、我が国と国民の平和と安全を確保していくためには、どうしても早急な憲法改正が必要です。それは主権者国民の務めでもあります。改正国民投票法も成立し、改憲に必要な法整備も整いました。民間の側でも、平成26年10月にはすでに「美しい日本の憲法をつくる国民の会」が設立され、全国47都道府県には憲法改正を促進する「県民の会」も逐次設けられ、改正機運の醸成に向けて国民運動が盛り上がりつつあります。
 新たな憲法は、時代の要請に応えられる「柔軟性」を持つとともに、我が国の歴史伝統にもとづいたものであることが求められています。そこで、本冊子では、数多くの必要改正項目の中でも、特に重要な改正条項について、解説します。

 以上の前書きのもとに、以下の改正の要点8項が示されている。ここでは、説明文を省略して項目のみ記す。
01 前文—我が国の誇るべき国柄を前文に明記する
02 天皇条項—天皇は日本国の元首であることを法的に明確にする
03 政教分離規定—憲法20条は1項と2項で十分であり、3項は削除する
04 家族条項—家族を尊重し保護する規定を設ける
05 安全保障—自衛のための軍の保持を明確にする
06 緊急事態条項—大規模な災害などの緊急事態に備えた条項を設ける
07 環境保全条項—日本の美しい自然と国土を守るために、環境保全の規定を設ける
08 改正規定—憲法96条を見直し、改正条件を緩和する

 内容を検証しよう。

 前書きの中に、「政府と日本国民の自由な意思は全く無視され」とあるが、これは全くのデタラメであることは、少しネットを検索し、大日本帝国憲法から日本国憲法への改正の過程を見ればわかることだ。なぜ条文が改正されなかったか?ということの答えは、便利だったからだ。日米安保条約は、1960年の改定以来、双務条約となっている。しかし、日本政府は、憲法9条を盾にして、米国からの軍事行動の要求に従わなかった。代わりに在日米軍の駐留費用を負担した。そのおかげで、戦後日本は一貫して、税収を大幅に軍事費につぎ込む必要がなく、経済開発や民生の安定のために予算を使うことができた。まさしく白州次郎が言った通り、「(日本国憲法の)戦争放棄の条項などその圧巻である。押し付けられようが、そうでなかろうがいいものはいいと率直に受け入れるべき」であり、歴代の自民党政権も、その実利を取ったのだ。安保ただ乗りである。
 「美しい日本の憲法をつくる国民の会」も、同じ「県民の会」も、日本会議とその賛同者の肝いりで作られ、憲法改正の機運を盛り上げるため行動している。
 この改正要点についての個別の批判は、本ブログ中の「神道政治連盟の憲法改正運動」の中に記したので、ここでは省く。それぞれに問題はあるが、一番問題となるのは、9条ではなく、一見あたりまえに見える、自民党改正草案の24条1項の家族条項の新設と、あらたに98条と99条として付加される緊急事態条項である。さらに13条で、「個人」を単に「人」とわざわざ変えて表記することも重要な意味を持っている。何故か?それは、彼らイデオローグたちが理想とする社会の実現に欠かせない要件であるからだ。

 彼らの理想とする国家像(社会)とは何か?

 核となる考え方は、一言で言えば、天皇という王道の王を抱く世界に唯一の国である日本は、家族を基礎として道徳的に完成された国民と天皇との君民共治の理想的な道義国家であり、これは人類の最高の社会形態であるということである。これを「國體」という。現在の日本は、占領憲法に毒されて、この國體が失われており、これを回復することが、「美しい日本」を再生することに他ならない、ということに尽きる。

 安倍政権の人々もそのように考えている。その証拠に、自民党が野に下っていた、2012年5月10日、憲政記念会館で開催された、安倍氏が会長を務める創生「日本」東京研修会における安倍グループの政治家の発言を以下に示す。これを撮影したビデオが、すでにインターネット上で出回っており、関心のある方々はご承知のことであるが、見ていない方のために、以下に発言の一部分を示す。http://iwj.co.jp/wj/open/archives/312953#idx-5

長勢甚遠氏(安倍第一次内閣法務大臣)「(前略)自民党の憲法草案が28日に発表されました。私はあれを読んですね、正直言って不満なんです。自民党も戦後レジームの定着によって役割を果たしてきたんだなということを自ら言っているようなもんだと思っています。なぜ反対か? 個々の改正案のところには賛成するところもたくさんありますけども、いちばん最初にどう言っているかというと、『国民主権、基本的人権、平和主義、これは堅持する』と言っているんですよ。皆さん、この3つはマッカーサーが日本に押しつけた戦後レジームそのものではないでしょうか。この3つをなくさなければ本当の自主憲法にならないのですよ。ですから私は自民党員なんですけど、あの草案には反対なんです。戦後レジームとは何かということをよく考えて(ください)、われわれ自身が戦後レジームの一部となっているんですよ。例えば人権がどうだ、あるいは平和がどうだとか言われたりすると、おじけづくじゃないですか。それはわれわれが小学校からずっと教え込まれてきたからです。それを立て直すのはなかなか大変な作業です。みんなで力を合わせて頑張りましょう。ありがとうございました」
城内実氏「日本にとって一番大事なものは何かというと、私は、皇室であり、國體であると常々思っております。(後略)」
 この研修会の参加者は、司会が櫻井よしこ氏、壇上には、安倍晋三氏、古屋圭司氏、衛藤晟一氏、下村博文氏、新藤義孝氏、稲田朋美氏など。

 この中で、明らかに、「平和主義、国民主権、基本的人権、この三つをなくさなければ、真の憲法の改正とはならない」と、安倍第一次内閣の法務大臣が発言している。もちろん現在の安倍総理も、その場に同席し、ニコニコしている。
なぜ、こうなるか?

 片山さつき氏は、基本的人権を否定する意義について、自身の顔写真付きのツイッターで、基本的人権は、西洋の天賦人権論の導入であり、それは、権利ばかり主張して義務を放棄する利己的な個人を生み出すので、これを否定するのだ、ということを表明している。これは、私が本ブログの別稿「権威主義の行く末」で述べたように、理念としての人権平等思想は、日本人(アジア人)には理解されないということを示している。しかし、同時に私が述べたように、近代社会の仕組みの必然として、人権平等と個人の意識が生まれてくる。したがって、これらを否定しようとすると、必然的に近代社会そのものの否定に繋がらざるをえない。

 日本会議副会長の小田村四郎氏も、「正論」2005年6月号の中で、「日本を蝕む憲法三原則」と題して、「国民主権、平和主義、基本的人権の尊重という虚妄をいつまで後生大事にしているのか」と述べている。

 つまり、先に述べた、「國體」の回復は、根本に個人の否定を置き、個人から発生する基本的人権という観念を否定し、日本の軍事的自立を求め、また、個人を基本とする民主主義と市場経済を否定し、金銭の獲得を最上の目的とする利己的な資本主義社会を否定することにつながる、ということだ。この、個人と、民主政治と、資本主義から生じるグリード(貪欲)の否定は、すなわち、近代という時代の否定である。  「國體」の実現は、反近代の思想なのだ。

 反近代の主張の出発点は、「人間は、家族の一員として生まれ、家族の一員として生きる」という家族主義だ。家族は村につながり、村は実体としての国につながる。そして実体としての世界につながるべきだということである。世界が、家族を単位としてつながり、家族の道徳を基礎として世界がつながる。家族道徳が、世界道徳になる。「世界は一家、人類はみな兄弟」の思想はここから生まれる

 この考え方は、前近代の思想に由来するものだ。

 社会的存在としての人間は、前近代には家族の一員として生まれ、生き、そして死んでいった。まさしく家族の中の人生であった。前近代では、法律は支配者が民衆を縛るためのものであり、民衆は、家族道徳や慣習、伝統、長老の指示を指針として、社会を生きた。
 したがって、前近代の家族主義は、法律を必要としない程度の、互いに顔の見える小集団の中でのみ、正常に機能する。人類の歴史において、家族主義を基礎として巨大国家が正常に運営された試しがない。それは、例えば、中国古代において理想像として語られはしたが、結実はしなかった。孔子や孟子が説いた徳治主義の国家がそれだ。
 人間が大集団を作れば、相互に信頼関係を結ぶことは不可能だ。顔も見えず、性格もわからない人々を信頼することはできないからだ。それを無理に相互信頼させようとすれば、一定の道徳を強制的に集団の成員に押し付ける他はない。そのためには、徹底的な教育と逸脱者への厳しい処罰がなされることになる。結果するのは、全体主義の国家だ。結局、一部の指導層が国を弄ぶことになる。

 近代化に伴う産業化と都市化の中で、人間は家族から離れ、個人として自立し、政治的には、立憲主義と民主主義を社会のシステムとして構築し、経済的には、個人をベースとして、市場経済と資本主義を構築した。その中で、人々は、精神的にも物質的にも、自由で豊かな生活を享受するようになった。一方、確かに、人々は、金銭を追求することを最大の目的とするようになり、互いの信頼関係を失いがちとなり、様々な社会病理ともいうべき悩みや苦しみを抱えることになった。
 近代の政治経済のシステムは、人間が互いに信頼しあうことはできないということを前提として作られている。しかし、すべての人間が全く自由に振る舞えば、社会の秩序は保てない。そこで、人権の一部を法律によって平等に制限して、社会を運営するということが、近代社会の基本である。権利の制限と社会の維持のための義務を定める法律は、すべての人々の合意によるものだ。そしてその法律を遵守するのは、基本的人権を享受する人々の義務でもある。人権を認めれば義務を放棄する利己主義となるという理屈は、間違っている。人権を認めず、法律と道徳によって国民に義務を課し、国を運営しようというのは、前近代の支配者の論理である。
 
 また、近代社会が、人間の相互信頼を失わせるという理由で、これを否定することは、間違っている。人間間の相互信頼は、社会の中の様々な小集団の中で醸成されるべきものだ。家族とか、友人とか、気の合った仲間たちとか、そういった小さな集まりの中でこそ、本当の信頼や愛情が生まれる。
 国家的な規模で、日本人は互いに愛情と信頼を持って人間関係を作れ、などと言っても、そのようなことはできるわけがない。例えば、都会で暮らす人々が、昔の田舎のムラの暮らしのように鍵をかけずに就寝したらどうなるか?というより、そんなことはできるわけがないと人々は考える。ムラ社会では、互いに氏も素性も承知している少数の家族が共存しているので、それは可能であるが、都会では、誰が何をするか予想もつかないので、すべての人々が防備するのだ。かつての戦前の道義国家大日本帝国でも、様々な犯罪が起きていた。それは、いくら道義を唱えても、大きな集団を道徳で秩序立てることは不可能であることを示している。

 近代という時代は必然的に個人意識を生み、民主主義と市場経済を生んだと認めるならば、この二つは、今の所人類共通の普遍的価値として受け入れなければならないものだ。問題点は、部分的な改良によって修正されるべきだ。共産主義が生まれた時も、資本主義社会は、労働者の権利を大きく認め、この近代社会を存続させた。米国大統領候補の一人であったサンダース氏の説いたように、グリードや極端な経済格差はルールの一部改正によって正常化されるべきものだ。

 マルクスは近代を貨幣物象化の世界と断じ、人間の共同性を貨幣から解き放つために共産主義という全体主義の思想を生み出した。これに対し、神社本庁のイデオローグ達は、家族道徳と権威主義の政治で構成される「國體」という前近代の社会構造を使った全体主義のシステムを採用することによって、近代社会の問題を解決しようとする。この二つの考え方に共通するのは、近代社会の基本である個人に基づく民主主義と資本主義を廃止することだ。

 しかし、ここまで発達した経済社会のシステムを統制型経済に改めることで、消費社会の維持ができるはずがない。そのために、彼らは、武士道精神に見られる「質素」という道徳を国民に守らせようとするだろう。民主主義と基本的人権の破壊は、愛国意識と家族意識を高めることによって補填を図るだろう。
しかし、それでも、人々の不満は解消されまい。このような場合の常套手段は、国民に目的意識を持たせることだ。日本の「國體」システムは、世界最高なのだから、世界中にそれを広めることによって、世界平和が達成されると説くだろう。

 このようにして、日本は、大東亜共栄圏ならぬ世界共栄圏の樹立に向けて発進することになる。民主主義と資本主義と近代社会が敵、そして共産主義も大嫌いなのだから、組める相手はいない。無理に求めれば、イスラム原理主義といったところか。 

 現在は、米国は、安倍政権の大切なパートナーであるが、本質的に資本主義と民主主義が破壊目標であるので、最終は、日本対欧米の戦争ということになる。彼らは、日本が米国の呪縛から外れ、本格的な独自の核武装国家となるまで、臥薪嘗胆で耐えている。もっとも、その前に米国の力を借りて、中国と北朝鮮を潰し、韓国を黙らせようとするだろう。そのための日米同盟であり、双務条約なのだ。

 また、緊急事態条項は、戦争勃発時のみならず、政府の巨額の財政赤字を一挙に処理し、統制型経済にシフトする時に、国民の不満を押さえつけるために使用されるだろう。この場合、極端な経済政策によりハイパーインフレを強制的に作り、預金封鎖と新円への切り替えを行い、一挙に財政再建を行うと考えられる。もちろん同時に、国内の国民の流動資産は消失することになる。

 彼らの師と仰ぐ、生長の家創始者の谷口雅春氏は、「“諸悪の因”現憲法」の中で、次のように述べた。
 諸悪は悉く、占領憲法の各条項が、日本国家を(中略)愛国心の勦滅と、家庭破壊と、性頽廃とにより、やがては自滅の道をたどらざるを得ないように意図して起草されたるその目的の漸進的病毒の進行というほかはない。

 まさしく、氏の遺志を継ぐ弟子たちは、現行の日本国憲法を、大日本帝国憲法の現代版に取り替える作業に着手している。

 不思議なことだが、多くの日本国民は、今後、数回にわたる改正で完成する新憲法が、民主主義と市場経済を破壊するものであると薄々承知して、賛同しているように見える。基本的人権は守るに値しない、鬱陶しいものと考えているように見える。日本人には、「自由」であることが耐えられないように見える。
まさしく「自由からの逃走」である。

 谷口雅春氏は、「七つの灯台の点灯者の神示」の中で、「大東亜戦争に敗れたのは飽くまでも無明と島国根性に凝り固まった『偽の日本』であって、本当の『神州日本国』は敗れたのではない」と主張した。彼らは、今から本当の「神州日本国」を作り上げ、「國體」を明らかにし、世界を八紘一宇の桃源郷にしようと画策している。民主主義と資本主義という世界の共通価値に挑んで、これを破却し、世界を日本的価値に従わせることを望んでいる。

 しかしもちろん、そんな夢は実現するはずもない。神社本庁も、日本会議も、「見果てぬ夢」を見ている時が一番幸せであるかもしれない。このまま、彼らの夢が現実化すれば、遠からず日本は第二の「亡国」を迎えるであろう。                   (2016/10/11  政策委員の解説の一部に事実誤認があったので、2017/06/10に改訂)

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