宮司のブログ

こんにちは。日吉神社の宮司を務める三輪隆裕です。今回、ホームページのリニューアルに伴い、私のページを新設してもらうことになりました。若い頃から、各所に原稿を発表したり、講演を行ったりしていますので、コンテンツは沢山あります。その中から、面白そうなものを少しずつ発表していこうと思います。ご意見などございましたら、ご遠慮なくお寄せください。

靖国と日本文化

2015年8月8日   投稿者:宮司

   靖国と日本文化

 以前、靖国神社(以下、靖国という)について書いたが、もう一度、別の角度から考えてみる。

 清水の次郎長にこんな話がある。戊辰戦争のおり、駿河湾に逆賊として放置されていた幕府軍の戦死者の遺体を、子分たちに命じて回収し、手厚く弔おうとした。そこへ役人がやってきて、これを叱り、幕府軍は賊軍であるから、放って置くように命じた。それに対し次郎長は、死んだら皆仏様ですから官軍も賊軍もありません、弔います、といって供養を続けたという。

 このエピソードでわかるように、日本文化の根底には、死んだら皆神仏となるという霊魂観が存在する。平将門は死後神田神社の祭神となり、江戸を守護し、桃太郎の吉備津彦尊に退治された鬼は、吉備津神社に祀られている。刑務所の死刑囚も、死後はきちんと供養され、50年もたてば、祖霊神となる。

 靖国に祀られていなかったA級戦犯の霊も、死後30年を経過したので、靖国に祀られた。何の問題も無いようにみえる。

 しかし、靖国には、戊辰戦争で、日本国の為と思って戦って戦死した会津の将兵を始め、幕府方の戦死者の霊魂は、一切祀られていない。さらに、明治以降の各戦争で、敵方として戦死した人々の霊魂も祀られていない。これは、日本文化と異なる。

 靖国は、当初から、日本の心情とは異なった、欧米の、敵味方を峻別する思想に基づいて造られた。欧米の思想は一神教である。神の対極に悪魔がいる。すなわち敵と味方だ。19世紀の欧米は、植民地を巡って熾烈な争いを繰り広げており、その中で近代化、すなわち仮初めの欧米化を志した日本が、敵味方峻別の思想を欧米から取り入れ、国民に徹底させようと考え出されたものが靖国であった。

 本来の日本人は、多神教の文化の中にいた。価値は多様で相対的であった。敵は時に味方となり、その逆もあった。加えて古来より定住共同型の稲作漁労文化の土地柄であったので、穏健な性格だった。しかし、明治に一神教所縁の敵味方峻別の思想が取り入れられた。そのおかげで、穏健だった日本人は強くなり、日清、日露の両戦争を乗り切り、さらには第一次大戦で戦勝国の側につき、世界の列強の仲間入りをするまでになった。

 しかし、第二次大戦で無謀にも多くの先進国を相手に戦端を開き、一敗地にまみれ、2発の原子爆弾を落とされ、戦争を通じて日本人だけで300万人以上の犠牲者を出してしまったことは、まことに悲惨なことだった。

 戦後の靖国は、相変わらず同じ文脈の中で生き続けている。そこには世界平和の祈りは形だけで、日本の戦争の正当性と、味方の為に死んだ人々への慰霊だけが生きている。

 靖国は一神教の文化だ。敵味方を分けることに意味があると叫んでいる。多神教に基づく日本文化の、敵味方を分け隔てなく、慰霊することの真反対を行っている。

 しかし、グローバル化があらゆる面で進む現在、一神教の文化も様変わりしている。バチカンは他の諸宗教に敬意を払い、イスラムの現実的な指導者も他宗教との共存を主張している。いまだわけのわからない敵味方峻別主義を唱えているのは、頭の固いラビや、イスラム原理主義者達だけだ。

 長期にわたって互に戦争を繰り返してきたヨーロッパ各国は、いまではEUという共同体を作っている。アングロサクソン文化の典型である米国も、黒人系の大統領を持つほど民主化してきている。

 19世紀末に当時の敵味方峻別主義を取り入れた靖国が、いまだ変化できないのは、神社界に巣食う妙な伝統墨守主義に汚染されているからだろう。ここで注意しなければならないが、神社本庁もまた日本文化と反対のものを追い求めている。何故なら、明治の伝統が非日本的であり、神社本庁が明治を自分たちの伝統の基と理解しているからに他ならない。

 このままの状態が続くと、靖国が日本文化を受け入れることができないばかりか、日本を時代錯誤の原理主義国家にする道具にされてしまうことになりかねない。 私はそのことに懸念を持ち続けている。     (2015/08/01)

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