宮司のブログ

こんにちは。日吉神社の宮司を務める三輪隆裕です。今回、ホームページのリニューアルに伴い、私のページを新設してもらうことになりました。若い頃から、各所に原稿を発表したり、講演を行ったりしていますので、コンテンツは沢山あります。その中から、面白そうなものを少しずつ発表していこうと思います。ご意見などございましたら、ご遠慮なくお寄せください。

戦後70年目の戦争

2015年2月2日   投稿者:宮司

私は1948年の生まれだ。今年で67歳。戦後の平和な時代を生きて来た。

 その前の1868年からの77年間は、まさしく戦争に次ぐ戦争の時代であった。戦後のこの長期の平和があったのは、日本が、平和憲法といわれている戦争を放棄した憲法を持つ国家であったからだ。

 明治以来、我が国は、近代的な国民国家を目指し、ついには世界に伍す強大な国家となり、国家間の戦争に参加し、一敗地にまみれ、その結果、再び強大な武装国家とならないように、勝者であるアメリカ合衆国から平和憲法を押し付けられたのは、周知の通りである。

 しかし、皮肉にも、この憲法を後生大事に守り通したおかげで、東西冷戦の時代にも軍事的に参加せず、共産主義の終焉とともに世界はグローバルな経済競争の時代に入り、平和で安全な競争に明け暮れる国となった。

 嘗て世界は、その富に限りがあり、それを国家間で奪い合うのが日常であった。それが明治の時代である。しかし、グローバリズムの進展とともに、世界の経済は架空に創造された信用によって無限に増大するものとなり、人々は戦争ではなく、経済競争によってそれを求め合うこととなった。従って最早、経済の困窮を原因とした国家間の戦争はあり得ないものとなり、また、文化やイデオロギーの差による戦争も、相互理解の仕組みがインターネットを通じて個人レベルで世界に普遍化されたために、これもあり得ないものとなった。日本の政治家や知識人たちはこの現実が理解できずに、平和憲法の日本は、不完全な国家であり、普通の国家となるために、あるいは、ありえない隣国からの侵略に備えるために、憲法9条を捨て去り、他の国家と同じように軍備を持ち、集団的自衛権を行使し、世界の平和の維持のために海外への派兵も辞さない国家となることを選択しようとした。

 大きな間違いは、世界の戦争は、9.11の事件を契機として、まさしく21世紀型のものに変質していたことを見抜けなかったことだ。21世紀の戦争は、国家間の戦争ではなく、近代社会とそれになじめない前近代的な感覚を持った集団との武力闘争であり、表面的には、国家とテロ組織との戦争なのだ。

 人間が、近代化を始めて以来、さまざまな形態で、人間の本能は近代化に反発してきた。それが、ナチズムであり、大日本帝國であり、ファシズムであり、共産主義であり、カルト宗教であった。現在その代表的なものがイスラム原理主義である。通常は近代化の進む過程で、このような反発が生まれるが、現在では、インターネットの普及により、イメージの中で近代の毒素を感じ取り、部族社会の構造を持ったイスラム地域でこのような反近代の行動が強い衝動を持って生まれたのだ。表面的な近代化のみを行った地域なので、この動きは根深いものとなり、前近代に特有の復讐心により増幅されて、テロリズムは終わりなき戦闘行為となる。

 安倍首相は、わかっていたかどうか? 彼は、日本を普通の国家にしようとして、確かに特有の安全装置であった憲法9条を否定し、隣国の侵略に対応しようとして、日本をイスラム原理主義のテロリストとの戦いに引きずり込んだのだ。私自身は、憲法9条を捨てて、安全な場所から表へ出て、世界平和の実現のために日本が武力を行使することに反対ではない。しかし、最も問題なのは、そのような準備が整っていないうちに、行動を起こしたことである。社会の安全の確保という点では、日本は最も不備な国家だ。もし、自爆テロや銃撃テロを日本で起こそうとすれば、現在、世界のどの国よりも簡単に標的とされる国であることは明々白々である。私は首相が昨夏、集団的自衛権の解釈を議論し出した時に、いち早く、これはイスラム原理主義との戦いになると直感した。なぜなら集団的自衛権の行使は、日米安保が片務的なものから双務的なものとなることを意味し、現在の米国の最大の敵は何かを考えるならば、当然日本はイスラム原理主義を敵とすることになるからだ。そこで私は、知り合いの警察官僚に、テロリズムに対する防備訓練は行なっていますか?と尋ねた。答えはノーであった。こんな甘い考えで、アメリカ合衆国などと組んで、テロリズムと戦うなど、全く常識はずれの考えだ。せっかくアメリカが敗戦の代償にくれた平和のお守りを簡単に捨ててしまったのだ。しかし、もう遅い。

 本日の後藤健二氏の殺害を知らせるメッセージの中で、彼らは、明らかに日本という国家に戦争を通告したのだ。戦後70年の本年が、期せずして、新しい戦争を始める年となったのだ。こちらはその気がないから、戦争ではないと思ってはならない。彼らはブラフを使わない。宣戦布告したからには、もう日本国内でのテロの準備は整っていると見るべきだ。警察はありとあらゆる努力を傾注して、セキュリテイのチェックに至るところで万全を期すべきだ。多くの人々が集まるところは常に注意しなければならない。特に怖いのは、原発を自爆テロで破壊されることだ。そんなことになったら、日本は経済的にも破綻してしまう。

 私は決して人々の不安を煽っているわけではない。憲法9条を捨てて普通の国家となるということはこのような覚悟が必要であるのだ。   (2015.02,01)

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