宮司のブログ

こんにちは。日吉神社の宮司を務める三輪隆裕です。今回、ホームページのリニューアルに伴い、私のページを新設してもらうことになりました。若い頃から、各所に原稿を発表したり、講演を行ったりしていますので、コンテンツは沢山あります。その中から、面白そうなものを少しずつ発表していこうと思います。ご意見などございましたら、ご遠慮なくお寄せください。

グローバル化と民主主義の成熟

2024年4月21日   投稿者:宮司

 近代化は人間を生来の共同体から引き離し、個人化すると屡々書いて来た。
近代の社会ステムである、民主主義と市場経済は個人を単位として成立する。
よって、近代化=都市化=個人化であった。

 それでは、グローバル化は個人化に対し、どのような関係性を持っているのか?

 グローバル化はIT(Information Technology)革命以降に起きるので、デジタル社会化である。そこでは、インターネットを通じてすべての個人が国境を越えて繋がっている。すなわち、個人は超国籍化するはずである。

 民主主義の基本は、社会の成員がその社会の仕組みや目的に対してアクセスでき、多数意見にて決定することができるという点にある。法律は下から上へのベクトルとなる。つまり、支配者が法律を作るのではなく、社会の成員の総意として法律が作られるのだ。そして、成員は平等にその決定権を分かち持つ。その点では、社会的な権利に差異は生じない。これが基本であった。そして、すべての成員が社会に対して責任を持たなければならない。

 すべての人類が、個人として、平等に意思決定に参加できるツールとしてインターネットは無限の可能性を持っているように見えた。20世紀の後半から、デジタル社会が始まり、21世紀の入り口あたりでは、グローバル化による地球社会の実現の可能性が検討され、インターネットは地球市民が平等に政治参加する可能性を開くものとして期待が持たれた。

 しかし、その後、デジタル社会のポピュリズム化が始まり、様々な虚偽の陰謀論が世界を席巻するようになり、地球社会の実現は夢と化し、人々はそれぞれの国家や民族の立場にこだわり、反グローバルのうねりが大きくなった。

 世界の人々が、地球を主権国家に代わる社会基盤として認識して、正しく民主主義を機能させることができないので、ポピュリズムに陥ってしまう。

 人類はこれからどのような道を進むのだろうか?

 一つの鍵は、近代化とそれに続くグローバル化によって失われたものの復活である。それはもちろん、共同体的な人間関係である。今のところ、これを回復する受け皿として、最も適切なものは、意志共同体である。すなわち、気心の知れた小グループが稠密な人間関係で結ばれるときに結実する共同体であり、それは少人数の筈である。アトム化した諸個人が社会のSolidarityを実感できる場所となる。以前、熟議民主主義について考えたときも、鍵は、意志共同体の復活であった。

 このような共同体が社会の中に無数にできることによって、個人はつながりを持ち、それは共同体であるが故に、会社とか国家とか民族とかいった特定の価値観を押し付ける枠組みとして個人を束縛しない。それが大事である。

 現在でも、このような共同体は実際存在している。その中にいる個人は、ポピュリズムに踊らされることなく、全体の社会、地球社会を誠実に考えることができる。なぜなら、共同体自体が、一つの社会であり、それを心地よく維持することに努めているということは、自分が属する社会に対し、責任を持って臨むという態度を醸成するからである。

 このように考えていくと、グローバル化したデジタル社会を健全化するものは、意志共同体であり、それが地球社会を覆うように無限にできていくことが必要であるように思われる。
 それでは、このような世界はどうしたらできるのか?それは、人類が種々の生産活動をはじめとする生活のための賃金労働から解放され、自由な心で趣味や芸術の世界に入り、日常を過ごすことができるようになった社会ではないか?

 つまり、生活のための賃金労働から解放され、全ての時間が余暇となり、各々の自由な心から生活が形作られるようになって、それが実現するように思われる。

 そのためには、グローバル化の究極として考えられているAIを活用したスマート社会化による人間の賃金労働からの解放が必要であると思われる。

 人類は、漸く、生活資源の確保のための労働から解放され、精神の自由を満喫する段階に入っていくのかも知れない。(2024/04/21)
 

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