宮司のブログ

こんにちは。日吉神社の宮司を務める三輪隆裕です。今回、ホームページのリニューアルに伴い、私のページを新設してもらうことになりました。若い頃から、各所に原稿を発表したり、講演を行ったりしていますので、コンテンツは沢山あります。その中から、面白そうなものを少しずつ発表していこうと思います。ご意見などございましたら、ご遠慮なくお寄せください。

反グローバルのうねり

2024年2月27日   投稿者:宮司

 ある社会構造が、次の社会構造に変化しようとするときは、旧社会の構造を残そうとする力が働き、それに対して、それを跳ね返して新しい構造に向かうエネルギーが強まって、社会の変化が始まるということは、すでに理論化されている。

 そのような観点から、近代化という社会構造の変化を概観すれば、それは、前近代に支配的であった基礎共同体(家族・村)を基とする社会構造から、機能集団や集列集団を主とする都市社会への変化と捉えることができる。

 その場合、当然、共同体への郷愁による、反近代のエネルギーが社会に生じる。それが、初期には、共産(社会)主義やファシズムであり、日本の国体思想であった。そして、第二次世界大戦後は、家族を対象とした新宗教運動であり、個人の連帯を標榜する全共闘運動やヒッピーであり、最後は諸個人を共同体というカルトに引き摺り込む狂信的な宗教や、イスラム共同体の出現であったことは、これまでにもしばしば指摘した。現在の権威主義の国家がなお存在できるのは、そのような共同体への郷愁が国民の内に残っているからに他ならない。発展途上国は基礎共同体を色濃く残しており、その意味では権威主義の国家がうまく機能する。

 一方、先進国では、民主主義や資本主義の発達とともに個人化がますます進み、IT革命の進展とともに、グローバル化が進んだ。次は、デジタル革命による生活のスマート化に進展すると見られる。発展途上国も、近代的な都市社会へと変貌するにつれて、次第に個人化し、人類は、都市の中で、少数の個人による意志共同体を作り出すことにより、反近代の情念を克服するとみられる。そしてグローバル化に向かう。

 そのグローバル化は、当然、国家に依拠して自己存在の確証を得ている人々の反グローバルの情念を掻き立てることになる。現在は、グローバル化を推進しようとする人々と、反グローバルの動きをする人々との対立が鮮明になってきた時代であると言える。

 啓蒙思想から生まれた国民国家は、全ての国民がその国家の維持に責任を持つものであるという信念に基づいて生まれた。民主主義はその延長として、国民の全てが国家の運営に関わる制度として生まれた。さて、国民国家は別名、主権国家ともいう。主権国家はそれぞれの国民が拠って立つ根拠であり、何者にも変え難い最高の価値を持つ存在として考えられた。拠ってSovreign Stateという。

 しかし、グローバル化の進展とともに、国家が消滅し出しているということは、本ブログ「国家消滅の時代」で述べた。すなわち、国家単位では環境問題等の人類の課題を解決することができないので、グローバルな環境に人類は入り、地球をベースとして連帯し、問題解決を図らざるを得なくなったのである。その意味で、主権国家に代わって、地球こそが、Sovreign Place=Earthなのである。

 いずれは、反グローバルの波も収斂し、人類はグローバル化の次のステージに向かうと考えられるが、現在はこの軋轢が最大の波乱要因として人類社会に重くのしかかっている。しかし、これを解決し、次のステージに進むことのみが、地球規模の動乱や環境問題を克服し、人類が存続する唯一の道である。そのためには、諸個人として結びついた人類の全てが、この事実に目覚め、世界世論を形成し、時代を動かしていくことが必要である。そして、それが今、試されている。
 (2024/02/27)

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