宮司のブログ

こんにちは。日吉神社の宮司を務める三輪隆裕です。今回、ホームページのリニューアルに伴い、私のページを新設してもらうことになりました。若い頃から、各所に原稿を発表したり、講演を行ったりしていますので、コンテンツは沢山あります。その中から、面白そうなものを少しずつ発表していこうと思います。ご意見などございましたら、ご遠慮なくお寄せください。

グローバル化と世界経済の行方

2024年2月3日   投稿者:宮司

 20世紀後半より始まった経済のグローバル化の中で、世界経済、とりわけ、先進国と発展途上国との関係、グローバル企業と富の偏在(経済的不平等)について、さまざまな社会理論が存在した。

 ここで、ざっと振り返ってみる。

 1960年代以降、英米の社会学者や経済学者は、市場志向理論を提唱した。これは、人々の自由な経済行動を保障すれば、自然に世界レベルで経済成長が始まり、結果として貧富の格差は縮まっていくというものである。この理論によれば、低所得国の政府はその国の経済活動に関与すべきではなく、人々の自由な経済行為を妨げるべきではないという。これはケネディの経済顧問であったW.W.ロストウの近代化理論(経済発展段階理論)が代表的である。この理論により、米国は中米から南米の諸国に対し、指導的な経済開発を行わず、結果として、麻薬カルテルのような犯罪組織を生み出し、中南米の経済発展を遅らせた。

 この考えは、アダム・スミスの「インビジブル・ハンド」を世界経済に適用させたようなものであり、到底通用するものではなかった。また、低所得国の文化や風俗の独自性が経済開発を妨げるという誤った見方を提示し、例えば韓国経済について、ロストウは「韓国が数百年にわたって引きずってきた固執的で東洋的な問題のために韓国政界の分裂と不正は矯正できない病に陥っているので工業化など絶対にできない」と主張したが、その後、朴正煕政権による工業化を見て間違いを認めた。これは、前近代的な共同体社会から近代化による都市型社会への変化を政策的に起こすことによって、社会構造が変わり、経済成長が始まるという理解を欠落させていたからである。つまり、低所得国が経済を起動させるためには、社会構造を変えるための諸政策が、当該国の政府によって行われなければならない。それをせずに、前近代の慣習を残した社会をグローバルな経済競争の元に晒せば、中南米の諸国のように汚職や犯罪に満ちた泥沼のような社会が生まれてくる。この原因を経済のグローバル化に帰してはいけない。

 この、自由放任が世界の経済を成長させるという主張は、現在の新自由主義の主張につながっているが、全体が正しい訳ではない。見るべき点は、自由貿易と世界経済のグローバル化の主張である。

 次に、グローバルな資本主義の中で、富裕国や富裕国に拠点を置く超国籍企業による低所得国からの搾取が低所得国の貧困を引き起こしているとする従属理論がある。これは植民地主義による搾取がグローバル化するというマルクス主義の立場に立った批判であった。主に発展途上国の経済学者や社会学者によって唱えられたが、生産のグローバル化によって世界の生産力が一貫して増加し、発展途上国の経済成長をも引き起こすという現実によって否定された。BRICS諸国をはじめ、今ではタイ、ベトナム、メキシコ、アルゼンチン、チリ、インドネシアといった国々が経済成長を始めて中所得国に成長し、この理論が間違っていることが証明された。

 世界システム理論は、グローバルな資本主義を、世界を一個の経済システム単位として理解しようとする。それは西欧の植民地支配から始まったが、今では、「中核=先進工業国」、「周辺=農業中心の未開発国」、「準周辺=グローバル経済に巻き込まれつつある発展途上の中所得国」という3つのゾーンに世界を分けて理解しようとする。しかしこの区割りは永続的なものではないとも主張する。これは大切なことだ。

 もともと世界経済のグローバル化の最大の利点は、永続的な成長をもたらすことで、低所得国が経済開発を成し遂げ、結果として全ての国々の国民が先進国の国民並みの生活を享受できるようにするための持続的な成長を実現するということである。世界の貧困率を見ると、1990年には36%であったが、2015年には10%に低下している。2022年には8.51%に低下した。このような背景から、国連は、SDGsを提唱している。

 そのために最も必要なのは、各国の適切な政策であって、国内的には、外資の導入を速やかにする社会制度と社会資本の整備であり、対外的には、自由貿易と技術交流を速やかにし、資本や人材の移転も可能とするための措置である。こういった経済成長の促進に国家の果たす役割を強調するのが、国家中心理論である。これは特に、香港やシンガポール、マレーシアの経済浮遊に果たした政治指導者の役割を重くみるところから発想された。

 実は、これらのアジアの発展途上国の例を見るまでもなく、初期の共産国家の政府主導の経済開発が、ある程度まで成功したのは、同じ構造である。ただし、共産国家においては、政府の人権に対する抑圧が強かったので、一定以上の成長がストップしてしまった。その結果、一定規模の自由な政治経済行為を許容せざるを得なくなって、共産国家はほとんど消滅したのである。現在の中国が、大規模な経済成長を遂げたとはいえ、強力な権威主義政権のもとで、人権や自由の抑圧といった政策に進むのであれば、経済の低迷は避けることができない。

 経済のグローバル化とそれによって生まれる経済的な不平等についての過去の理論を概観してきたが、結論としては、グローバル化は、それをうまくコントロールすることによって、不平等を生み出すどころか、全ての人間が共通してある程度豊かな生活を得ることのできる道となるであろうということができる。経済成長につれて農業構造から都市構造の社会に変化することの社会的な問題点をクリアし、低所得国が中所得国となり、高所得国となる過程において、世界の中での自国の権威や指導力を高めようとすることによって生まれる国家間の軋轢をうまくコントロールすれば、それが達成できる。

 また、確かにグローバルな経済成長の中で一部の富裕層が大部分の富を占有するという現象は起きている。しかし、生産力の総量が上昇する中での富の偏在であるので、底辺の人々の生活は確実にレベルアップしている。そして、富裕層も、激烈な競争と課税措置により、過去の時代のように一定の階層を形成することはできない。例えば、億万長者(10億米ドル以上の資産家)は、21世紀初頭に573人いたが、2024年には2170人に増え、その顔ぶれもずいぶん変化し、発展途上国の人も多い。

 人間は、競争するので、どうしても貧富の差は出てくる。これをある程度、税制や福祉制度などの社会制度で緩和することはできるが、「共同富裕」などのスローガンで無理に平準化しようとすれば、経済社会そのものが破綻する。グローバルサプライチェーンを発展させて、世界全体のGDPを高めていくことこそが正しい道である。

 現在の、多極化と言われる世界の変化は、低所得国や中所得国が高所得国に近づき、国力をつけてきているという脈絡の中で理解することができる。特に、グローバルサウス、とりわけ中東の主要産油国であるイラン、サウジアラビア、UAEを合わせたBRICSは、これからG7の先進国グループに対し、世界の指導力を争おうとするであろう。こういった対立を解消し、共同で、SDGsに向かっていかに協力するかが、これからの世界の運命を決めることとなる。
(2024/02/03 なお、本稿に記した社会理論については、A・ギディンズ「社会学」第5版を参照した)

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