宮司のブログ

こんにちは。日吉神社の宮司を務める三輪隆裕です。今回、ホームページのリニューアルに伴い、私のページを新設してもらうことになりました。若い頃から、各所に原稿を発表したり、講演を行ったりしていますので、コンテンツは沢山あります。その中から、面白そうなものを少しずつ発表していこうと思います。ご意見などございましたら、ご遠慮なくお寄せください。

自説「大東亜共栄圏の今昔」を否定する

2023年12月11日   投稿者:宮司

2013年にこのブログを書き始めてから、多くの読者に支持されて、10年が経過した。
様々なテーマで、興の赴くままに書き続けてきたが、最近、気になっていることがある。
それは、「三輪隆裕のブログ」で検索をかけると、時々、2005年に書き上げ、2013年の3月に本ブログに発表した「大東亜共栄圏の今昔」が上位に出てくる。これは、この小論が読者にかなり支持されている証拠であると思われる。

 実は、この小論は、当時の神社界の姿勢を皮肉って書いたものだ。そこでは、親米一辺倒の神社界の姿勢を批判し、明治以来の日本人のアジア的な価値観の提示こそが必要であると書いている。引用すれば、「日本は、過去の大東亜共栄圏を欧米的価値に流されることで失敗したが、今回は、日本の伝統と歴史に基づき、アジア的価値に寄って立ち、米国に対するカウンターバリュー(対抗価値)を提供するべきだ。」とある。


 これは、今になって考えれば、書き過ぎで、間違っている。ここでは、無批判に、グローバルな世界では価値多様性が大切であるので、欧米的な価値に対し、様々な歴史的、文化的な経緯に基づいた価値、すなわち社会的な制度は多様であるべきだと断じている。以下の如くである。

「人、物、金、情報が地球を自由に行き来する現在、グローバライゼーション(地球化)の議論が盛んである。そこで常に問題視されるのは、アメリカを源とする画一化によって世界の各地域の文化や倫理的価値の多様性が損なわれるのではないかという不安である。地球化の中で人類が共存するためには、一定のルールの共通化が必要である。しかしそれは文化や宗教、倫理の価値多様性を否定するものであってはならない。多様性の尊重こそが共存に最も必要な原理であることは過去の人類史が結論付けている。」

 しかし、この論述は決定的に間違っている。その後の私のブログの内容をご覧になればわかるように、私は、むしろ、社会制度については、民主主義に基づいた政治、人権重視と弱者の保護、自由を規制より重視、経済の自由競争重視、といった西欧近代の骨格を作る制度に普遍的な価値を置いている。

 そこで、過去に書いたこの小論を否定したい。削除も考えたが、その理由を明示することの意味を考え、このような方法を取った。

 理由を述べる。価値の多様性を認めるということは、「価値の多様性を否定する社会制度、あるいは異なる価値観の共存を否定する社会制度を認めないということである。」

 すなわち、現在でいえば、権威主義の社会やイスラム原理主義の社会では、自由が極度に規制され、価値多様性を認めない社会を作っている。このような社会は否定されるべきだ。なお、付言すれば、アジア的な価値としてよく言われるのは、アジアは多神教の世界であり、根本的に価値多様性であるというものだ。しかし、これも間違っている。例えば「怪力乱神を語らない」儒教でさえも、政治制度としては、「仁」に基づく王政を支持するのであって、そこには、権力の腐敗をチェックし、権力の乱用を除去できる制度が組み込まれることはない。西欧近代の啓蒙思想こそが、唯一、そのような装置を内在している。

 資本主義がグローバル化の中で変質し、これを適切に制御しなければならないことは一面の真実であろうが、今のところ資本主義以外に、人類社会の経済成長を可能にする経済システムは見当たらないことは、歴史が証明している。

 であるからこそ、地球規模の人類社会の近代化の中で、西欧由来の様々なシステムが共通化しているのである。個々の文化や歴史の差異に基づく多様性の尊重は、このような基礎の上に展開されるべきものである。(2023/12/11)

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