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社会(共産)主義という迷妄

社会(共産)主義という迷妄

 私は昭和23年生まれ、今年で76歳になる。

 私のように青年期を戦後昭和期の真っ只中で過ごしたものにとっては、社会(共産)主義というのは、賛否の違いはあれ、資本主義社会の矛盾の解決のために考えられた思想であるという点では一致していた。


 そして、共産主義は社会主義の成熟の末に現れる経済システムであると考えていた。ここでは、以降、「社会主義」と「共産主義」を合わせて「共産主義」で代表させる。

 共産主義に賛成するものは、それは資本主義の矛盾の露呈として必然的に社会に現れるものであり、いずれは世界全体が共産主義に向かうと考えていた。

 共産主義に疑問を抱く者は、共産主義は資本主義社会の中で生まれた労働者がその社会運動の目標とするものであるが、問題点も多く含み、特に共産党員の一党独裁による権威主義の政策は労働者・農民の政治的な自由を奪い、計画経済はその労働意欲を削ぎ、生産力の停滞を生むと考えた。

 それゆえ資本主義社会は、労働者の社会運動によって要求された彼等の人権や政治的な自由を認め、その一部を改良することによって存続できるものと考えた。

 そのような改良によって、日本では一億総中流の社会が生まれ、西欧では、労働者代表の経営参加の道が開かれていった。

 合わせて考えると、共産主義とは、資本主義の矛盾を解決するための進歩的な社会制度であり、いまだ未成熟で、現段階では、改良型の資本主義という制度が採用されているが、いずれ、共産主義の弱点が改良されれば、未来の人間社会は進歩した共産主義といった態になるのではないかと概ね予想していた。

 しかし、近年、私の考え方は百八十度の転換をしている。

 現在の私は、社会主義というものは、資本主義の矛盾を克服するために理論的に考えられた思想であるが、実態としては、反近代、すなわち、前近代社会が産業革命以降に近代化する過程において、失われていった自然共同体社会の人間の紐帯を結び直そうとした社会運動として歴史に結実したものと考えている。

 前近代へのノスタルジアとして生まれたのが、現実の社会主義であった。

 よってこれを進歩的な社会の形態と考えることは、まさに迷妄である。

 これから、しばらくは、本ブログで、このことについて細かく検証してみようと思う。
  (2024/09/05)

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