宮司のブログ

こんにちは。日吉神社の宮司を務める三輪隆裕です。今回、ホームページのリニューアルに伴い、私のページを新設してもらうことになりました。若い頃から、各所に原稿を発表したり、講演を行ったりしていますので、コンテンツは沢山あります。その中から、面白そうなものを少しずつ発表していこうと思います。ご意見などございましたら、ご遠慮なくお寄せください。

個人化と民主主義の将来

2018年1月9日   投稿者:宮司

 近代化は、個人化を促進すると、屡々述べてきた。

 民主主義を成立させた啓蒙思想は、理念として、「個人の自由」を基礎において民主主主義を形作った。しかし、現在と比較して、当時の社会は、個人化は全く進んでいなかった。したがって、政策を主張するのは、実質的には、階層であり、一定の利害関係を共有する集団であった。そのため、代議制を基礎とする政党政治が民主主義の具体的な姿となった。個人を基礎として、その話し合いにより政策が決定されるということは、理念でしかなかった。

 
 当時のヨーロッパでは、国王を中心とする貴族階層に対して、新興勢力の市民階層が存在し、その軋轢の結果、民主主義が社会の政治システムとして形成されたのである。この他、農民層が存在したが、未だ政治に参加するほどの知識と方法を持っていなかった。近代化の進展とともに、貴族層は没落し、かつての市民層が資本家となり、労働者が有力な社会階層として現れ、農民層も政治参加し、それぞれを代表する政党を作った。近代化の一層の進展とともに社会の階層は多岐に分化し、様々な利益集団が並存し、それらを代表する多様な政党が現れてくる。

 戦後の日本では、保守的な農民が農協を作り、自民党を支え、労働者が組合を作り、社会党を支えるという、55年体制が長く続いた。自民党政権による60年代を通じた近代化の完成は農民層を解体し、自民党は、支持基盤を、建設族を中心とする資本家層にシフトした。公労協の解体に始まる労働者層の分裂は、社会党を衰退させ、多様な革新政党を誕生させた。80年代から現在に至る一層の近代化とグローバル化(地球化)は、個人のネットワークを世界規模に広げ、社会の様々な分野の規制緩和は、資本家や労働者といった階層をも個人化し、一定の政策を主張する集団が分解しつつある。この中で、理念、あるいは、信仰を核として結びついた集団のみが、強い結束力を示し、政治的な力を持つようになる。共産党や公明党がその良い例である。

 例えば、都市近郊に住む一人の人物を考えてみよう。彼は、農民であるが、農地解放で得た一定の土地を所有し、不動産を経営し、収益を株式に投資している。また、長年勤務した会社で積み立てた年金をもらい、息子は、近所の工場で働いている。そうなると、彼は、農民であり、資本家でもあり、労働者でもある。階層の複雑化と分裂はこのようなものだ。サラリーマンでも、給与や賞与の代わりに自社株を受け取れば、あるいは貯蓄を株式に投資すれば、資本家であり、労働者であることになる。

 このようにして、政党の基礎を支える階層が個人に解消されていくので、人々は、一定の支持政党を失い、その時々の政策への賛意や気分で投票を行うようになる。かくして政治のポピュリズム化が進んで行く。政策への関心も、極めて個人的となる。個人の利害をもとに政治行動がなされ、長期的な、全体的な展望のもとでの政策立案には関心が持たれない。

 かつての社会階層を基礎とする政党政治の時代には、集団のリーダーたちが、それぞれの理念に基づく社会像を描き、そのための政策を立案し、代議制の議会で、議論を戦わせたが、ポピュリズムの社会では、次第に個別案件の是非論に陥って行く。例えば、現在のヨーロッパでは、難民の受け入れの是非が、大きな争点となっていて、人々は受け入れの是非について投票し、難民を作らないようにするという世界的な視野に立った主張に関心を示さない。

 すなわち、現実世界で個人化が極端に進めば、既存の民主主義は、適切な政治システムとして機能しなくなる。そこで、強いリーダーの下で社会を一定の方向に動かそうとする人々が出てきたとしても不思議ではない。このようにして、ポピュリズムが全体主義を生み出すこととなる。

 この方向を防ぎ、民主主義を健全な形に是正する方策はあるのであろうか?

 極端な個人化は、共同体の喪失による社会病理を生むので、それを防ぐためには、多くの適切な小共同体の構築が重要であると説いてきたが、ここでも、その考えを援用することが可能である。

 諸個人が様々な形での小集団の共同体を作ることを進め、それらの共同体の中で、人々が、社会的公共の観念を養い、長期的、世界的な展望に立った政策を立案し、さらに開かれた議論の中で、個々人の政治意識、社会意識を育てることを可能とする。こうすることによって、ポピュリズムの弊害は打ち砕かれ、グローバル化したネットワークは、このような意識を世界的に共有することができる手立てともなるであろう。

 現在、政治学の領域で研究されている「熟議民主主義」は、このような小集団が存在する社会の中でのみ、可能となると思われる。
                                      (2018/01/09)

世界-日本