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天皇の聖と俗

天皇の聖と俗

以下は、平成18年に書きました。天皇の女系と男系の問題を論議する神社界を批判したものです。私は、このような皇室の事柄は、皇室にご判断をお任せすべきと考えています。

 天皇の「聖」と「俗」

—神社界の主張に見る宗教への変化

 少子化と男女平等という現代の日本社会の傾向は皇室にも及び、一昨年より皇室典範の改正が論じられていた。すなわち天皇継承順位を男系男子に限らず、男女を問わず第一子優先と変えて行こうとする動きである。現在、皇室ご一家に男子誕生の可能性が出たため、政府内においてはその論議は中断しているが、一夫一婦制のもとでは遠からず男系男子の継承が難しくなるので、この問題は、いずれ再燃するであろう。この動きに当初より猛反発をしてきたのが、神社本庁である。これは神社界にとって特筆すべき動きである。戦後の宗教法人としての再出発以前、明治以降の国家制度によって「非宗教」扱いをされてきたために、自身を「宗教」として主張することの少なかった神社本庁や神社人が、今回の動きによって、正しく自身が紛れも無き「宗教」であることを、主張しだしたといえるからである。

 神社本庁は、総長談話で、「百二十五代にわたって続いて来た皇位の男系男子による継承は、日本の伝統であり、特別な意味を持っている。」としたことを皮切りに、全国の神社を巻き込んで、ポスターとチラシによる、皇室典範改正に対するネガティブキャンペーンを実施しだした。「女性天皇と女系天皇はちがいます」が、その標語である。ソフトな物言いではあるが、はっきりと女系天皇拒否を打ち出す良く考えられたものである。

 女系はダメ、男系でなければならないというのは、合理性の無い主張である。神社界の学者の中には、皇室の特殊な遺伝子が男系の中に保たれているというSFもどきの主張をする人もいるようである。学者より作家になった方が良い。

 実は、「合理性が無い」ということが大事なのである。「合理性の無い正統性(レジティマシー)の主張」、それこそが「宗教」の特質であるからだ。

 元来、天皇は「聖」と「俗」の二面性を持っていた。原始国家が祭政一致であったからである。国家と国民の平安を神に祈るという「聖」の部分は、統治という「俗」の部分と微妙にからみあい、変化しながら、現在に至っている。現在の天皇の「聖」の部分は、皇居の東京移転に伴い、薩長政府によって整備されたものである。それまでは宮廷の神道儀礼は白川神祇伯家が司り、民間の神道裁許は吉田家が天皇から委託されて司っていた。明治の初めに統合され、儀式的にも整備されることによって、地方の小さな神社、官国幣社、そして皇室のそれぞれにおいて、地域社会から始まって国家と国民全体の平安と皇室の発展を祈るという構造が完成した。天皇は神主の中の大神主となったのである。

 一方、天皇は「俗」の部分において明治の近代国家の主権者となって国家統治を総覧した。一転、敗戦後は、国民主権のもとに国民統合の象徴となった。現在、皇室は、理想的な家庭や家族の典型として国民的な人気を持っている。

 天皇の「聖」の部分は宗教的な行為である。従って形と意味の継承が大切となるが故に、伝統が尊重される。明治以前の長い歴史の中で若干の変遷はあったであろうが、その儀式伝統は忠実に受け継がれて来た。明治の改革もこの伝統を尊重し整備する方向でまとめられたと考えて良い。

 しかし、「俗」の部分は大幅に変わった。長い間政治の実権から遠ざかっていた天皇が、国家の主権者となったのである。それだけではない。生活も近代化によって変化した。明治の始め、ざん切り頭は明治天皇が始めて後、民間に定着したという逸話がある。皇室が洋室や洋装を取り入れたのは明治天皇からである。

 明治政府は、西洋の技術を修得するために、西洋文化を取り入れた。そのなかにキリスト教の根本義である一夫一婦制と夫婦同姓がある。しかし日本人の多くは、法制度としては受け入れた一夫一婦制を、社会的現実としては受け入れなかった。これは敗戦まで続く。戦後、ようやく一夫一婦制が定着した。従って皇室にも側室が無くなり、少子化と男女平等の流れが生まれたのである。 この事実を見れば、皇室の「俗」の部分は時代によって激しく変化してきたことが理解される。

 神社界にとって天皇は、「大神主」、「祭祀王」として、「聖」の部分で特別な意味を持っている。しかし、天皇は「俗」の部分も合わせ持っている。現在の皇室典範の改正論議は「俗」の部分に焦点を合わせたものだ。「聖」の部分の不変の伝統を大切にする神社界がこれに反対するのは当然である。宗教的確信は非合理なものである。したがって、かたくなに「男系の男子」を主張する神社界は自らの宗教性を端的に表出している。

 ところで、万一、皇室典範の改正が、有識者会議の意見のように「第一子」優先と決まった場合は、神社界はどうするのであろうか?天皇は神社界の信仰の核心である。そうであるならば神社界の主張する「男系の男子」を擁立して「神社界の皇室」を立ち上げるのが本来であろう。イスラム教でも信者の宗教的信念の違いによりカリフが二人という時代があった。それとは多少ことなるが、日本で「聖」の天皇と「俗」の天皇の二人の天皇が存在しても不思議ではない。

 しかし、祭政一致時代以来の「聖」と「俗」の権威を合わせ持つ天皇を戴くことを本願とする神社界はこれをよしとすまい。ことは聖俗分離、政教分離の問題にまで行き着くことになる。さらに、国民的な人気を持っている現在の皇室ご一家を排して、数百年前に分立した旧宮家を復活させ、家系の離れた他の正系男子を神道の天皇として擁立したとしても国民の支持は得られまい。古代、継体朝はそのようにして始まったが、それは当時の日本列島在住民の与り知らぬことであった。現在は国民主権、情報過多の時代であり、事情は全く異なっている。しかも長期的にみれば、どのような家系を持って来ても、一夫一婦制のもとではいずれは男系男子の継承は不可能となる。本来は、一夫多妻制を主張すべきなのだ。本来の日本の伝統はそうであるが、神社界は現代においてそれを主張する勇気は持ち合わせていまい。

 結局のところ、神社界は、このまま男系天皇の主張を続ければ現状の日本社会から遊離することとなる。「神社は日本文化の根源である」などとは言っておられなくなるのだ。神社本庁は、今回のキャンペーンを通じて、パンドラの箱を開けたのかもしれない。その「宗教」表明を歓迎しつつ、神社人の一人としてその行方を深く憂いている。

 (H18.08.03 三輪隆裕)

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