「日本人ファースト」という危険思想
今回の参院選で、流行語となった「日本人ファースト」という言葉を吟味する。
一見耳触りよく聞こえる言葉であるが、実は、危険思想である。
人間は、猿人の時代から集合して、つまり社会を作って、相互に助け合いながら生活を営んできた。しかし、啓蒙思想が生まれるまでは、人間はそれぞれに能力に差があるので、強いものが弱いものを支配し、あるいは指導するのが正当であると考えてきた。
しかし、人間は本質的に平等であるとする考えが、啓蒙思想の中で生まれた。つまり近代の社会思想である。そこから、人権平等という概念が生まれた。それを基礎として、近代社会は成立している。
法律を無視して、力で他者を支配したり、他者の所有物を盗んだりしたら警察に捕まり、刑事処分を受けることになるのはそのためである。
このことは、国際的にも当然のこととして、承認されている。従ってウクライナを侵略したロシアの暴挙やガザの住民を殺戮しているイスラエル軍の行動が非道であると非難されるのは当然であって、残念ながら、国際的な警察機構や裁判制度が未熟であり、実力を伴っていないので、これを取り締まることができないのである。
「日本人ファースト」という言葉は、基本的にその平等性を否定してしまうので、危険思想と言わざるを得ない。日本で暮らしている外国人は「日本人ファースト」と叫ぶ人々を前にして不安に駆られるであろう。
もちろん、この言葉を使っている人々は、「そういう意味ではなく、日本人より外国人を優遇することをやめろ」といっているだけだと抗弁するであろう。しかし、そのような事実は現今の日本社会には存在しない。
そしてそれをいうならば、「日本人ファースト」というよりも「外国人も日本人も平等に」というべきであろう。しかし、それでは「日本人ファースト」と叫ぶ人々は納得しまい。それは、「日本人ファースト」の言葉の裏側には、「日本人を特別に優遇しろ」すなわち「我々を優遇しろ」という意味が込められているからである。
これは論理が反対である。もともとこの国は日本人の国である。社会の仕組みや法律の全てが日本人のために作られているはずだ。
そこへ少数の外国人が入ってきた。そこで、差し支えない限りで、外国人に対しても人権平等の観点から、日本人と同等の待遇を与えているというのが実態である。
そう考えるとことの本質が見えてくる。つまり、「日本人ファースト」を唱える人々は、何かしら現状の日本社会に不満を持ち、それを変えたいと思っている人々ということになる。その不満を外国人に言寄せて「日本人ファースト」と叫んでいるのだ。今回の参院選で「日本人ファースト」を掲げて躍進した政党はそういった人々の不満をうまく掬い上げて結果を出したといえよう。
しかし、恐ろしいのは「日本人ファースト」という言葉が一人歩きし始め、本来の日本社会に対する不満が、外国人に対する攻撃となって現れてくることである。
かつて同様のことを人類は経験している。ナチス・ドイツは、当時のドイツ国民の社会に対する閉塞感や不満を、ロマ人やユダヤ人に対する攻撃にすり替えて、国民の信頼を得て、政権を奪取して、最後は自分たちが差別した人々の虐殺に踏み切った。
まさか、日本人が、そのような理不尽な社会を作るとは思わないが、油断して、「日本人ファースト」という言葉の危険性を無視していると、思わぬ方向へ社会が動いていくことを少し心配している。(2025/07/24)