戦争を防ぐには
2023年3月20日 投稿者:宮司
昨年2月以降のロシアのウクライナ侵略、近年の中国の軍事力の増強、度重なる北朝鮮の核ミサイル開発実験などによって、日本国内でも、多くの人々が国防力の充実や、核武装の実現を求めるようになってきた。これは、「戦争不可避症候群」に罹患した人々である。
日中戦争が英米仏蘭に対する宣戦布告へ変化した時期にも、日本中にこの症候群に取り憑かれた人々が大勢いたであろう。
こういった人々は、総じて、軍事力の充実を求める。安全保障を軍事力の強弱のみで測り、相手国を上回る軍事力を求める。
しかし、どの国も同じように考えて、相手国より上の軍事力を持とうとすれば、世界はどうなるか?軍事力の基礎は経済力であるから、世界は経済力と軍事力を独自に強化しようとする国々で溢れることとなる。
現在のようなグローバルサプライチェーンの構築による合理的な生産力の増強など考えもつくまい。つまり、世界中が火薬庫となる。人類の終わりである。
本来、国際法では、戦争は自衛戦争以外は認められていない。
そして、本ブログ中の、「反撃能力のまやかし」でも述べたように、自国の領土内での戦闘のみが自衛戦争として正当化できるのであるが、多くの「戦争不可避症候群」に取り憑かれた人々は、自衛のための相手国への攻撃を正当化しようとする。現在のロシアと同じである。
最近では、日米安保条約に基づく米国の援助を期待できないものとして、日本独自の核武装を主張する人々も増えている。もし全ての国家が同じように思考すれば、世界中の国家が核武装をすることになる。必ず、偶発的な核戦争が起きる。これも人類の終わりである。
結局、核武装国を現在以上に増加させることを防ぎ、核兵器の怖さを世界中の人々に周知させ、核兵器を削減させなければ人類は存続することはできない。日本国の軍事力の充実のみを考え、核武装を主張する人々は、世界は滅びても自分たちだけは生き残ると思い込んでいるが、そのようなことはあり得ない。人類が滅びれば、日本人も全滅する。全面核戦争の引き金は、決して引いてはならない。
では、どうするか?
一般に先進国は全て、自国の軍事力のみで安全保障を考えるのではなく、外交や同盟を通じた総合的な安全保障を考えている。日本も従来通り総合的に考えるべきだ。
ところで、権威主義のロシアや中国の権力者たちは核兵器の使用についてどのように考えているのだろうか?
彼らは、自分たちの権力維持による旨みを手放そうとしないけれども、一方では、その家族や親族については西側、つまり民主主義の国々で暮らすことを望んでいる。
カリフォルニア州に中国村と呼ばれる地区があるという。そこでは、中国の権力者たちの夫人たちが暮らしている。生まれてくる子どもたちに米国籍を取得する可能性を与えるためにである。プーチンの娘たちも西欧の国々で暮らしている。北朝鮮の金正恩も若い頃はスイスで暮らしていた。つまり、彼らにとって、体制の維持は権力の温存のためであり、誰もが民主主義の国々で暮らすことが良いと知っているのだ。
だから、彼らも楽園と思う社会を核戦争で潰したくはないと考えているはずである。つまり全面核戦争は起こしたくはないのだ。
総合的に考えると、核武装をしなくても、日本が核戦争に巻き込まれる可能性はない。あるとすれば、通常戦力による限定的な戦争である。これを防ぐには、日本は、これからも、闇雲に軍事力に頼るのではなく、外交努力を重ねて、欧米と協力し、中国やロシア、北朝鮮といった権威主義の国々の民主化を促していくことが必要である。
どうしても核武装をしたいのであれば、思い切って、日本が独立国であることを止め、米国と同じ国家となることだ。そうすれば、世界に新しい核武装国を作ることもなく、また、米国が助けてくれるかどうかを心配する必要もない。ただし、自衛隊も米軍となり、基地の面積も今以上に増えていくことだろう。親米社会であるので、米国の一部となることを嫌がる国民は少ないはずだ。唯一の心配は、銃社会となって治安が不安定となることだが、これは独立した州法で規制すれば良い。
(2023/03/20)