宮司のブログ

こんにちは。日吉神社の宮司を務める三輪隆裕です。今回、ホームページのリニューアルに伴い、私のページを新設してもらうことになりました。若い頃から、各所に原稿を発表したり、講演を行ったりしていますので、コンテンツは沢山あります。その中から、面白そうなものを少しずつ発表していこうと思います。ご意見などございましたら、ご遠慮なくお寄せください。

神社界の体質改善を望む

2022年12月25日   投稿者:宮司

 12月22日、東京地方裁判所において、葦原高穂氏の提起した神社本庁総長地位確認訴訟の判決が下った。請求棄却であった。原告は直ちに控訴へ向かうであろう。

 しかし、その前に、なぜこのような判断が下ったかを検証しなければなるまい。
 これは、一言で言えば、積年の神社界の体質がもたらしたものだ。

 この訴訟は、神社本庁の事務最高責任者の総長の選出において、神社本庁の精神的最高権威者である統理の役割をどのように捉えるかという点を争ったものだ。すなわち、神社本庁庁規には、「総長は役員会の議を経て、統理が指名する」とある。

 過去4期12年にわたって総長の座にあった田中恆清氏は、在任中に神社本庁の資産について不透明な不動産取引を数回行い、これを内部告発した職員2名をそれぞれ懲戒解雇と降格処分にした。その後、処分を受けた元職員2名がその不当性を訴えた裁判では、第1審でその不当性が認められた。神社本庁は最高裁まで3度争って敗訴した。

 神社本庁の正常化と透明化を求めた統理は、田中氏に度重ねて辞任を促したが、聞き入れられなかった。今年6月の役員改選において、新役員は5度田中氏を総長に選出した。最高裁までの裁判のなかで、田中氏の背任犯罪はほぼ確実であるとされたが、すでに時効をすぎており、田中氏の刑事責任を追求する道は閉ざされている。

 そこで、統理は、田中氏を指名せず、北海道の葦原氏を総長に指名した。その場で、田中氏に与する神社本庁総務部長が、「役員会の議を経て、ということは役員会の議決を必要とするという意味である」と言い立てて、総長不在の状況を作り、田中氏が残任するということとなってしまったのである。

 統理を支持する神職達は「花菖蒲の会」という組織を作り、全国的に神職・総代に参加を呼びかけ、今回の訴訟を側面的に支持した。神社本庁の民主化と透明化を促すために、私もいち早くこの組織に参加した。そして地位確認訴訟を起こしたわけであるが、請求棄却となった。

 これはなぜか? おそらく、裁判官は、「議を経て」の語義的な解釈については余り考えていない。
最も重視したのは、総長と統理、どちらが多数の神職・総代の支持を受けているかということなのだ。この点において、統理側は、多数の支持を得ることに失敗している。なぜか?

 それは、神社界が戦前の体質をそのまま引きずって組織を作ってきたからである。つまり、「言挙げせず」、自らの意見を表明することなく上位のものに従う、ということが美徳とされ、上位のものも下位の人々の意見を重視しないという組織である。統理派の神職達は、主要な神社の宮司達が入っているので、自分たちさえ纏まれば良いと考え、多数派を形成することを軽視し、「花菖蒲の会」は、わずか1,850名余りの会員となっている。全国の神職数は2万2千人ほどであり、神社数は約80,000社、各社に総代3名として240,000名の総代がいると考えれば、1,800という数はいかにも少ない。また、神社本庁の組織は、政府で言えば国会にあたる評議員会が最高議決機関であり、役員会はその負託を受けて諸事を決定するのであるが、その評議員の過半数の署名を集めて統理を支持するといった策も講じていない。

 そして、一般の神職や総代は言挙げせず、つまり自分の意見を述べず、経緯を見守っている。神職の中には、自分の神職身分をあげたり、表彰をしてくれる総長を支持する方が得策と考えるものもいる。(神職身分が上がれば、袴の色が変わり、自分が偉くなったように思うのだ。表彰も同じ。)これでは裁判官が、民主的に考えて、統理より総長が支持されていると考えても不思議ではない。もちろん実態は殆どの神職・総代がどちらを支持するかを明言せず、黙しているだけなのである。

 しかし、今からでも遅くはない。統理派の神職達は、神社本庁の民主化と正常化を神社界の隅々まで訴え、支持を取り付け、具体的な形で多数の神職・総代が統理を支持し、神社本庁の正常化を望んでいることを示すことだ。高裁の判決は、それがあれば逆転するであろう。その運動を通じて、今の時代に合わせて神社界の体質そのものが変化することを望みたい。(2022/12/25)

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