宮司のブログ

こんにちは。日吉神社の宮司を務める三輪隆裕です。今回、ホームページのリニューアルに伴い、私のページを新設してもらうことになりました。若い頃から、各所に原稿を発表したり、講演を行ったりしていますので、コンテンツは沢山あります。その中から、面白そうなものを少しずつ発表していこうと思います。ご意見などございましたら、ご遠慮なくお寄せください。

同床異夢の日本会議

2022年9月5日   投稿者:宮司

統一教会の実態がクローズアップされたことで、日本の保守層の矛盾が露呈している。

 元々、革新も保守も野合に近い集団なのだが、ここでは、日本会議に例を取って、これを支える人々の思想の違いを考えてみる。

 日本会議の中核は、「生長の家原理主義」であることは、本ブログ中の、「神社本庁の見果てぬ夢」で説明した。すなわち、生長の家開祖の谷口雅春氏の「戦後日本のすべての誤りの根本に日本国憲法がある」という考え方だ。彼らの目的は、日本国憲法を一日も早く改正して、旧来の大日本帝国憲法に近いものに変え、真の日本国家を復元するという点にある。

 ところで、大日本帝国憲法とは、簡単に言えば、天皇を中心とする家父長制国家と、王道政治による君民一体の国体を理想とする憲法である。しかし、その実態は、天皇に名を借りた一部指導者による権威主義の政体であることはすでに述べた。この理想は、神社本庁とも同一である。なぜなら、神社本庁のイデオロギーは、生長の家原理主義に主導されているからだ。その詳細は、すでに「神社本庁の見果てぬ夢」で述べた。

 これは儒教を基礎とする権威主義の政治構造であり、個人を基礎とする民主主義とは相容れないものだ。現代で言えば、習近平が理想に掲げる儒教的社会主義が一番近い。

 権威主義はほとんどの場合、伝統や家族を大切にする。なぜなら権威によって人々を支配するというのは、前近代のシステムであり、従って自然的な基礎共同体を大切にし、そこから支配の正当性を導くからである。家族や友人関係を大事にせよと説き、個人の多様性に基づくLGBTや自由の尊重を顧みない。そして、国家全体を一つの共同体と見做し、その指導者の命令に全国民が従うことを強制する。つまり、偽共同体である。

 かつて、全共闘運動が盛んだった頃、全国の大学自治会の殆どは全共闘系か民青系の自治会であった。しかし、長崎大学自治会のみは、珍しく、生長の家を信仰する学生たちによって、長崎大学学園正常化運動が起き、全共闘の学生たちから奪い返された。その中核の人々が、現在の日本会議の中枢であり、代表者が、日本会議事務総長を務める椛島有三氏である。そして彼らと共闘したのが、当時長崎大学原理研究会に属していた学生、すなわち統一教会の信者たちだった。

 原理の学生たちは、統一教会に洗脳されており、共産主義者をサタンとし、反共産主義、つまり反全共闘の戦いであれば、死を顧みず突進したという。誠に使いやすい人々であったろう。なお、統一教会は、反共産主義のみを表看板とする組織として、1968年に国際勝共連合を設立した。日本の名誉会長は右翼大物の笹川良一であった。原理の学生たちは、勝共の兵隊として、また原理の資金集めの兵隊として洗脳育成されたのである。この他、東大等の名門大学の学生には奨学金を提供して、米国等の大学院へ留学させたりもした。これらの優秀な学生たちは今も、隠れ統一教会員として日本の政財官学各界に入り込んでいる。

 これを契機に、民族派の学生による全国学生自治連絡協議会が結成され、いくつかの自治会が民族派の自治会となった。その後、当時の学生たちは、1970年に日本青年協議会を結成することとなる。これは今でも日本会議と同じビルに事務局を構えている。そして、長崎大学以来、実行部隊として使われたのが統一教会信者、すなわち原理研究会の会員たちであった。

 さて、統一教会は、文鮮明によって創始されたが、文は生まれ故郷の北朝鮮で布教を開始し、北の共産党政権によって逮捕投獄され、朝鮮戦争で解放され、釜山に赴き教義を確立、1954年に京城で統一教会を設立、反共産主義と文鮮明夫妻を父母とする家族的宗教共同体のみが幸福な社会を実現すると説く。また、聖書のアダムとイブの故事に倣ってアダムは韓国、イブは日本であると説き、日本は常に韓国の下位にあって韓国に仕えなければならないという意識を日本人信者に植え付け、あらゆる面で奉仕させることを特色とする。つまり、日本人の信者は、物心両面で、韓国を支えなければならない。そして日本で調達された莫大な資金が、韓国や米国、日本その他の国々の政権に統一教会が影響力を及ぼすために利用された。文鮮明はまさしく、宗教を道具とした世界支配を夢見ていたのである。

 元号法制化運動を契機として民族派の組織結集が模索され、1981年「日本を守る国民会議」が設立されたが、すでにその当時から原理の青年たちは多数この会に所属する国会や地方議会議員の秘書や事務局に入り込んでいた。一方で60年代から70年にかけての左翼運動の興隆を脅威と見做した神社本庁や佛所護念会、生長の家、念法眞教、モラロジーなどのトップを中心とした親睦交流組織として1974年に「日本を守る会」が成立していたので、1997年にこの二つが合同して、今の「日本会議」が結成された。この二つの事務局は共に椛島たちが主導して運営していたので、合同は自然の成り行きであった。

 結局、統一教会は、反共産主義を表に出すことによって、民族派に歓迎され、その使いやすさによって切り離せない存在となっていった。右翼の誰もが、その真の狙いに気がつくことはなく、また、その反社会性は1980年代には既に日本で大問題となっていったのであるが、それに対しては目を瞑ったのである。そして、文鮮明は1991年の冷戦終了後には、朝鮮民族の統一を狙って北朝鮮の金一族に近寄り、莫大な献金を通じて、影響力を持とうとしたのであるが、日本の政治家や民族派はそれにも目を瞑ったのである。

 日本会議における最大の同床異夢は、この統一教会と民族派の野合にある。共に家父長制の倫理によって世界を支配しようとするが、民族派は天皇、統一教会は文鮮明夫妻が核となる。この点で、全く異なっている。

 もう一つ、忘れてならない異夢は、独立派と、親米派の問題である。元々、民族派は、反ヤルタ・ポツダム体制が表看板であった。すなわち、戦後の国連常任理事5大国を中心とする世界秩序への挑戦である。谷口雅春も、究極は日米戦争をもう一度行い、米国に勝利し、アジア的価値観による世界支配を夢見ていた。三島由紀夫の楯の会に淵源する一水会も、反YP体制が合言葉であった。

 しかし、戦後一貫して反共産主義を貫いた笹川良一や児玉誉士夫、岸信介等がCIAと手を組んでいたというのは既に知られた事実である。手を組んだのは一時の方便であったかもしれないが、彼らに連なる現在の日本の保守勢力は、基本的に日米同盟の堅持を政策の第一目標に掲げている。そして一方では、民主主義の米国が眉を顰めるような歴史修正主義や儒教的価値観の政策、家族主義、反個人主義、夫婦別姓反対(事実としての夫婦同姓は欧米的な価値観であり、儒教は夫婦別姓であるが、日本では、夫婦同姓が家族主義の象徴として重要視されている)、外国人参政権反対、LGBT蔑視、女系天皇反対などが主張されている。これ等は反民主主義的な思想であるが、それには気づかず、自由民主党と名乗っている。

 つまり、民族派とか保守派と言った人々もまた、おそろしく同床異夢の中で生きている。これは、中国、朝鮮、日本の人々は民主主義の根幹である個人主義を理解できず、儒教というアジア的な権威主義の価値観に染まりきっているということである。習近平の儒教的社会(権威)主義も、北朝鮮の主体思想も、神社本庁の天皇を中心とする家父長制国家も、全てここから発している。

 冷静に考えてみよう。国連中心の平和主義は戦後一貫して世界中に支持されてきた。今回のロシアによるウクライナ侵略が世界の人々に支持されないのは、力による国境変更はそれに反するからだ。イラクによるクウェート侵略が支持されなかったことも同様である。したがって、世界は、YP体制(戦後体制)を前提として進んでいかざるを得ない。今回のウクライナ侵略により、ロシアの国際的地位の低下は免れない。よって今後、国連の常任理事国体制は変化するであろう。今、盛んに米国は中国を刺激しているが、中国がその気になって台湾や尖閣、沖縄を攻撃すれば、ロシアと同様な目に遭うことになる。その意味では、世界は相変わらず米国主導で動いており、権威主義の価値観が民主主義のそれにとって変わることはないように思われる。

 補足すれば、御皇室はこの辺りをよく理解されている。A級戦犯合祀以来、絶えて天皇陛下の靖国参拝が行われなくなったのは、A級戦犯の英雄化はYP体制の否定に繋がるからである。この辺の事情が靖国神社には理解できないのである。自由民主党の政治家たちも、はっきりと同床異夢の夢から醒めて、真の自由と民主主義を主張する政党となり、文鮮明や儒教の影響下から脱するべきである。(2022/09/05)

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