宮司のブログ

こんにちは。日吉神社の宮司を務める三輪隆裕です。今回、ホームページのリニューアルに伴い、私のページを新設してもらうことになりました。若い頃から、各所に原稿を発表したり、講演を行ったりしていますので、コンテンツは沢山あります。その中から、面白そうなものを少しずつ発表していこうと思います。ご意見などございましたら、ご遠慮なくお寄せください。

白哲学と黒哲学の交代という歴史認識

2022年5月5日   投稿者:宮司

 最近のダイアモンド・オンラインのコラム記事の中に、<「戦争の時代がやってくる」哲学と歴史が示す残酷な真実> というものを見つけた。この中では、白哲学と黒哲学という形で、二つの思想傾向が対比されている。


下記に示す。

「白哲学」と「黒哲学」の対立は、世の中のあらゆる場面で表面化します。


白哲学:絶対主義 vs 黒哲学:相対主義

ソクラテス vs ニーチェ

中央集権型(リーダーがいる) vs 分散型(リーダー不在)

ツリー(整然とした構造) vs リゾーム(根っこの乱雑な構造)

理想(ひとつの正しさに!) vs 自由(好きにやろう!)

信じる旗に集え! vs 旗から逃げ出せ!

会社人 vs 遊牧民

責任を持て! vs 責任から逃げろ!

暴力的でマッチョ vs 非暴力でナヨナヨ


「白哲学」と「黒哲学」。どちらが「善い」のか、その優位を交互に入れ替えながら、人類は歴史を重ねてきました。(https://diamond.jp/articles/-/302132)


とある。
 このような認識は、形式論理に即した旧時代的なものだ。

 例えば、「30人の幼児と自分の娘、どちらを助ける?」という命題を掲げて、どちらかを選択させようとする。それは、二者択一を強要するものであって、そこからは正しい回答は得られない。

 もちろん正解は、「両方とも助ける」であって、そのような解答を導き出すには、設定された状況をより高次な立場から俯瞰し、状況を変化させるという手続きが必要となる。すなわち、時間軸を加味した弁証法的な解釈が必要となるのだ。

 このコラムが取り上げた『正義の教室・善く生きるための哲学入門』という本の著者は、哲学理論に造詣が深い人のようであるが、ソクラテス、プラトン、ベンサム、キルケゴール、ニーチェ、ロールズ、フーコーといった哲学者を渉猟しながら、「正義」について思いを巡らし、これを絶対的に捉える派と相対的に捉える派を対比させ、上述のような二分的な哲学観を提示しているようである。

 しかし、これは決定的に間違っている。哲学史を辿ればわかることだが、形式論理的な二分法で絶対と相対、全体と部分、単一と多様、整理と乱雑といった分け方を前提としてものを考えていくことは間違っている。ヘーゲル以来、人類は弁証法的な思考でものを考えることを知り、このような対立概念を止揚することができるようになった。

 具体的には、相対的に見える物事も、時間の経過の中で、つまり歴史の進展の中で様々に検証され、改善されることによって、一定の真実に近づいていくのである。全てがそうだ。

 よって、多様性を大切にする不確かな時代が終わって、次に絶対的な価値を求めて人々がグループ化して対立する戦争の時代に切り替わり、次にまた自由を求める多様性の時代に切り替わっていくという歴史観は間違っている。

 元々人類は多様性を持っていた。しかし一方、家族という共同体で生活し、さらに数家族が連合してムラを作り、その秩序を保つために共通の価値観を伝統や宗教という形で作り、さらにより豊かな富を求めて戦争を行い、戦争に勝利するための力を得るために、小国家から大国家、そして国家連合を作って対立し、それぞれの国家の中で個別の多様性を維持しつつ社会制度という形で共通価値を作り出し、21世紀になってその共同性を世界レベルまで高めてきた。これが、グローバルなサプライチェーンであり、その進展の先には、多様性を維持しつつ世界規模の平和で豊かな社会を作るという目標が設定された。

 人類は、歴史の進展の中で、絶対と相対、共通価値と多様性はどのようなバランスであるべきかを追求し続けてきたのだ。言い方を変えれば、絶対的な共通価値というものは明示的には存在しない。それは多様性の存在の中で、追求され続けるものであり、終着点は無い。

 自由と平等の両立に正解のバランス点がないように、自由の結果として生まれる不平等と不平等の是正として生まれる社会制度に決定的な形があるわけではない。それは歴史の中で永遠に求め続けられるものである。

 従って、自由と多様性を強調する社会の中で不平等が生まれたからといって、今度は平等という価値目標に向かって異なる価値観に従って人類がブロック化され、戦争の時代が始まるといった議論は決定的に間違っている。

 初めから、人類は、それぞれ個々に異なっている一方、生存の必要性から共通価値の元に共同体集団として生活し、一神教の宗教的理念を得て平等という価値観を共有するようになり、多様性と平等の両立を求めて歴史を作ってきた。その中で人類の意識が少しずつ進歩し、正義の理念の内容も変化してきた。そして個別の幸福の追求が全体の幸福と重なり合うものとなるまで意識が高まった時、おそらく人類は新しいステージに入ると予想される。 (2022/05/04)

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