宮司のブログ

こんにちは。日吉神社の宮司を務める三輪隆裕です。今回、ホームページのリニューアルに伴い、私のページを新設してもらうことになりました。若い頃から、各所に原稿を発表したり、講演を行ったりしていますので、コンテンツは沢山あります。その中から、面白そうなものを少しずつ発表していこうと思います。ご意見などございましたら、ご遠慮なくお寄せください。

プーチンを追い詰めるな

2022年3月9日   投稿者:宮司

私は、3月1日発表の本ブログ「IT社会とウクライナ戦争」の中で、この戦争はプーチンの完敗となると予想したが、いよいよそれが現実味を帯びてきた。

 現在、ほとんどの評論家が、ウクライナ戦争は、たとえキエフが陥落しても、ウクライナ国民の抵抗は止まず、亡命政府を軸としたゲリラ戦に突入し、ロシアはウクライナを完全に支配管理することはできないと予測している。そして、世界中の国々による経済制裁によりロシアは疲弊し、プーチンの暗殺や内部クーデターを予測する人々もいる。

 しかし、流血の惨事によってロシアの侵略を止めさせようとする考えは間違っている。それは、20世紀風の暴力に対抗するには暴力という論理であるからだ。今回、圧倒的な軍事力の優位があったにもかかわらずロシアの侵略が失敗した最大の原因は、言うまでもなくIT社会の実現により、ロシアが正しい情報の拡散による世界的な世論の圧力に屈したからだ。そのように考えれば、プーチンの退陣も民主的な手続によるべきだ。すなわち、ロシア国民の正当な選挙により、大統領の座を追われなければならない。個人としては、抹殺されるべきではない。もちろん、戦争犯罪が立証されれば、国際的な裁判によりその刑事責任は問われなければならない。

 これからの社会では、軍事力を使用して国際秩序を犯すことは許されない。それは、一国の中では、暴力犯罪を許さないシステムがあることと同様である。そのためにも、国連軍を常設化することは検討されるべきだ。そして、NATOのような地域的な軍事同盟は解散し、経済や文化の交流と同様に、平和的な枠組みの地域協力が推進されるべきだ。

 今回の戦争を教訓として、各国がそれぞれの軍事力を高めあえば、待っているのは人類の滅亡のみである。日本でも、軍事力を高め、核戦力を持つことを議論しようという風潮があるが、それは、悪戯に東アジアの緊張を高め、一触即発の機会を作り、地域を戦争に導くものだ。

 すでに、今回のロシアによるウクライナ侵略で明らかなように、軍事力による一方的な平和の破壊は、国際世論と国際社会による加害国への制裁と被害国への支援を生み出し、暴力によらずに、民主的な力で、これを止めることができるのだ。

 週刊現代最新号によると、ロシアでは、元首が暗殺された場合、 AIにより、西側全域に向けて戦略核ミサイルが自動的に発射される「死の手」と呼ばれる核報復システムが構築されているという。真偽は定かではないが、もしこれが真実であるならば、暴力によってプーチンを排除することはできない。

 プーチンもまた、ウクライナ戦争で戦争犯罪を犯さないように注意していることは、民間人の虐殺を避け、避難手段を提供したり、ミサイルの標的を軍事施設に絞ったりしていることで理解できる。そのように指示していても、民間人の犠牲が発生しているが、過去のソ連(赤軍)がウクライナで行なった大規模な虐殺のようなことは、今のところ起きていない。こうしてみるとウクライナ戦争は、過去の独裁者が起こした戦争とは少し色合いが違っている。

 ゼレンスキー政権も、ウクライナの中立化をロシアを含む周辺国が保障するならば受け入れても良いといったシグナルを出し始めた。ウクライナは独立国として中立化を受け入れ、EUに加盟するとすれば、残るは、東部のドネツク、ルガンスク地域からのロシア軍の撤退だけである。両地域の帰趨については、ウクライナもしくは国連管轄の住民投票で決着するのが妥当である。そろそろ落とし所を米国、NATO、ロシア、ウクライナで話し合う機運が生まれるのではないか?仲介をするのは、イスラエル、トルコ、インドあたりか?

 ともかく、プーチンを必要以上に追い詰めないことだ。「窮鼠猫を噛む」という。追い詰めすぎて全面核戦争が勃発したら話にならない。(2022/03/09)


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