宮司のブログ

こんにちは。日吉神社の宮司を務める三輪隆裕です。今回、ホームページのリニューアルに伴い、私のページを新設してもらうことになりました。若い頃から、各所に原稿を発表したり、講演を行ったりしていますので、コンテンツは沢山あります。その中から、面白そうなものを少しずつ発表していこうと思います。ご意見などございましたら、ご遠慮なくお寄せください。

日本の経済政策失敗の25年

2021年11月16日   投稿者:宮司

 総選挙も終わって、国民の政権選択も終わったばかりであるが、11月15日付の朝日新聞の「GDP、民間予測より大幅に悪化 宣言長引き、旅行や宿泊が低迷」という見出しのデジタル記事に対する人々のコメントを見ると、政府に対する怨嗟の声が溢れている。

 これを、どう見るか?注意深く見ると、政府の愚策により、経済成長がこの25年余り止まっているのは政府の責任であるが、それはそのような政府を選択している国民の責任でもあるとする論調が多い。

 これは、つまるところ、自民党政権に不満はあるが、それに代わる良い政権を選挙で選択することができないということを国民が自覚しているということだ。つまり諦めているのである。どうしてこんなにも希望のない国となってしまったのであろうか?

 面白いコメントが一つ目についた。それは、カナダの大学の講義の中で、「日本ほど、良質で政府に従順な国民が存在する国で、25年もデフレが続き、経済が成長しないのは、明らかに政府の政策が間違っているということだ。」と教えているという。

 実際、世界の先進国の中で、唯一、日本だけがデフレという経済成長が全く見込めない現象に陥っているのであるから、この批判は当たっている。実は、アベノミクスの小さな成功と大きな失敗も含め、25年間のデフレ状態は、政府の経済官僚の決断力のなさの結果であると言える。

 日本のような開放的な資本主義市場経済は、近代化の中で一度だけの爆発的な経済成長を見せることは、繰り返し指摘してきた。その結果、近代化が達成されると、好循環の経済成長がストップし、人口が減少し始める。国富は一定の安定値に達し、一人当たりGDPも満足する値となり、低成長の中で、国民は一定の近代的な生活を味わい、物質的にはそれなりに満足することとなり、次は精神的な幸福感を追求しようとする。お分かりであろう。一億総中流となった頃である。日本経済は世界一とされ、福祉の充実度は社会主義の理想であると評された。

 その後、世界は冷戦終了の流れとなり、日本では1980年代の不動産のバブル経済が始まった。その加熱したバブルを退治するために、政府は総量規制を始めとして多くの融資規制をかけ、1989年12月大納会の株価を頂点として、バブル崩壊が始まり、銀行再編が起こり、日本経済は長いデフレ状態に突入し、現在に至っている。同時に、この頃、世界では、栽培化(農業)と養殖化(牧畜)を柱とする第一次産業革命、工業化を柱とする第二次産業革命に続く第三次産業革命ともいうべきIT革命が起こり、それは経済の新分野を形成し、世界はグローバル化に向かった。

 日本経済は、その中で公共投資という市場刺激によりデフレ脱却と経済成長を狙う政策と、老人国家の到来に備え社会福祉政策の維持を求め、消費税増税を行うという矛盾した政策のダッチロールを繰り返した。IT革命の中で国内に生まれたITの生産技術と拠点を海外にシフトし、あるいは売り渡し、IT化に伴う劇的な経済成長は幻の如く消え去った。

 そこで、財政投資を柱とするケインズ主義に見切りをつけ、経済政策をアベノミクスと揶揄された新自由主義にシフトし、規制と金融の大規模緩和による景気刺激政策に転換し、株価と企業利益をある程度確保したが、デフレを脱却することはできず、結果的には優良企業と富裕層の内部留保を高め、労働者の貧困化を招き、経済格差を助長した。かつて日本的経営の目玉であった安定雇用は全く失われ、現在に至っている。そして岸田政権では、一億総中流の夢よもう一度と、中流所得層の復活を策し、分配を重視した経済政策に転換しようとしている。そのための財源を経済成長に求めようとしているが、恐らく方法もわかるまい。結局富裕層や企業への増税にもとめ、雇用等の規制緩和を制限しようとするであろう。それはさらなるデフレ効果をもたらすと考えられる。

 これでは、政策のミスと批判されても仕方がない。

 国家が一定の経済成長を遂げたのであれば、道は二つある。さらなる経済成長を求めるのであれば、規制を緩和し、減税し、労働人口のアンバランスを移民によって調整しなければならない。日本国民の矛盾はここにある。つまり、移民アレルギーだ。現在、わずか300万人の外国人実習生や留学生という隠れ移民によって現在の日本経済の底辺が支えられていることを正視しなければならない。きちんとした移民政策を30年前からしっかり確立していれば、今頃は人口は1億5千万を超えていて、国内には3千万人以上の外国人が働いているはずだ。彼らは、年金を積み立て、医療保険や所得税の負担をし、国内に居住し生活物資の消費を行うので、その勤労と消費によって経済は活性化し、GDPは膨らみ、政府は社会保障費の増加に苦しむこともない。その代わり、法的な移民の人権補償と社会治安の維持のためのきめ細かな政策が必要とされたであろう。

 一方、一定の経済成長を遂げたのち、安定的に社会を運営しようとしていれば、早々に消費税を20%以上とし、その分配に無駄と遺漏の無いような社会福祉国家を目指し、医療や教育の無償化を実現し、国内には新分野技術開発のための研究施設を整備し、一般的な大規模生産設備の海外展開を図り、人口減少を容認し、中流の資本国家となっていたであろう。経済成長は軽やかであろうが、現在のベネルックス三国やデンマークのような落ち着いた国家となっていたと予想される。

 この25年間の政権はどちらともつかない政策を続けたので、ダッチロールとなってしまった。そして今でも方向性を明示できないでいる。これが日本の経済政策の失政の25年間である(2021/11/16)

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