監視資本主義
2021年6月28日 投稿者:宮司
監視資本主義( Surveillance Capitalism)について述べる。
これは、ハーヴァード・ビジネス・スクール名誉教授のショシャナ・ズボフの最新の著書である「監視資本主義の時代」によって、一般化した言葉である。
ズボフ氏はポケモンGOを例にとりながら、「個人情報から行動に関するデータを余分に搾り取り、企業にとって都合のよい利益の出る方向へと消費者の行動を誘導する──これが監視資本主義の骨子です」と述べる。
これは、監視資本主義が、デジタル社会に特有のものであり、デジタルデータを一部企業が独占することにより、諸個人の行動を予測し、さらに特定の方向に誘引することを通じて、企業収益の増益を図るものであることを示している。産業資本主義は自然界の全てを収益の素材としたが、今度は人間が素材化してしまうという危機感である。
ここで、思い起こされるのは、ハラリの言う「科学技術の発達により、寿命と幸福感を得た人類は、自己のアルゴリズムを発見し、データ処理により、人間の意識をもコントロールするようになる」と言うことだ(本ブログ中のホモ・デウス論を参照)。ハラリはここで、人類は、「人間に格差が生じ、家畜化する人間とそれをコントロールする人間に別れる」と言う。
つまり、諸個人のデジタル化されたデータから人々の行動を予測し、それを利益に結びつける企業や思い通りの政治に結びつける政府が勝ち組であり、無意識の内にコントロールされる人々が負け組であるわけだ。
無理強いや強権支配とは縁遠く、むしろ進んで、勝ち組のエリートの人々の思い通りになっていくのが、大衆と呼ばれる負け組の人々となるであろうとズボフもハラリも予測している。
しかし、本当にそうなるのであろうか?もし、優れたAi(人工知能)が指示するようにエリートの人々が振る舞えば、そうなるかもしれない。しかし、人間は不安定なものである。エリート集団の中にも、大衆集団の中にも、企画に入らない少数の人々が現実化し、プログラムにバグを作り出すのではないか。
現実に私は、SNSは嫌いで一切使っていない。このブログのように長文でなければ本当に伝えたいことがきちんと伝わらないと思っているからだ。
都会の暮らしを捨てて、自然の中で生活する人々も存在する。このような人々はデータから漏れるであろう。
また、多数の人々が多様な考えを持ってデータに接触できるようになれば、多様な社会運動がネットや現実社会の中に生じるのではないか。その為には、データの取り扱いについて、プライバシーの保護やアクセスの公平性の観点から、十分な議論が尽くされなければならない。政府や企業によるデータの占有の問題も人権と公平性の両面から議論され、国際的に法制化されなければならない。
何れにしても、そのようなデータやアルゴリズムを扱うことを通じて、個々人はそれぞれの意識を高めていくと思われる。デジタル社会が進展し、人類の個体数が激減し、大衆とエリートの境目がなくなっていったときに、人類のさらなる進化が起きるのではないだろうか? (2021/06/28)