宮司のブログ

こんにちは。日吉神社の宮司を務める三輪隆裕です。今回、ホームページのリニューアルに伴い、私のページを新設してもらうことになりました。若い頃から、各所に原稿を発表したり、講演を行ったりしていますので、コンテンツは沢山あります。その中から、面白そうなものを少しずつ発表していこうと思います。ご意見などございましたら、ご遠慮なくお寄せください。

儒家社会主義に向かう中国

2021年5月30日   投稿者:宮司

 儒家社会主義という言葉をご存知であろうか? 中国共産党政府は、現代中国の社会主義をこのようにいう。
実は、中国における儒教の復活は、胡錦濤時代に遡る。

 経済産業研究所の関志雄氏によれば、「1970年代前半の文化大革命の最中において、孔子と儒教は封建主義の象徴として厳しく批判された。しかし、近年、次の一連の出来事を通じて、再び脚光を浴びるようになった。

①孔子学院の設立2004年以降、中国政府は、世界各国の大学と提携し、語学教育や中国文化を海外で普及させる機関である「孔子学院」を設立している。2010年現在、その数は約280校に上る(2019年末には535)。「毛沢東」ではなく、「孔子」を担ぎ出したことから、中国の共産主義国としてのイメージを薄めようとする政府の意図が見て取れる。
②孔子生誕記念式典2005年9月28日に、初めて政府主導の下で大々的に孔子生誕記念式典がその故郷である山東省曲阜市で行われた。中国中央電視台は4時間にも及ぶ実況中継を放送し、式典には共産党幹部、各界の重要人物が数多く出席した。
③映画「孔子」の上映2010年年初に、国策映画と見られる「孔子」が公開された。同映画の上映から、「孔子」を肯定するという指導部のスタンスがうかがえる。
④天安門の斜め向かいに現れた孔子像2011年1月11日、天安門広場に隣接する中国国家博物館の改装工事の終了に伴って、その北口に建てられた高さ9.5メートルの孔子像が披露された。毛沢東の肖像画が掲げられている天安門の目と鼻の先に巨大な孔子像が登場したことは、儒教の復活を強く印象付けた。

 中国では、「失われた十年」といわれた文化大革命によって、社会が荒廃し、経済が破綻する中で、人々は共産主義に幻滅した。1990年以降のソ連の崩壊と東欧の激変も加わり、共産党による統治の正当性が厳しく問われるようになった。近年、経済が急速に発展したが、その一方で、貧富格差の拡大、党幹部の腐敗、環境の悪化などを背景に、国民の不満は高まっている。社会を安定させるために、共産党は、従来のイデオロギーの代わりに、国民が共有できる何らかの精神的支えが必要だと考えるようになった。しかし、共産党は無神論を標榜してきただけに、仏教やキリスト教といった既存の宗教を利用するわけにはいかない。宗教ではなく、中国人に理解されやすく、しかも由緒ある思想を探したところ、孔子・儒教に辿り着いたのである。儒教は、正真正銘の中国独自の思想であるだけに、中国国内では納得、支持を得やすく、愛国教育の一環としても推進しやすい。また、海外に向けて、コピー製品ではない本物の「中国ブランド」として正々堂々と「輸出」できるのである。」(関志雄、中国経済新論「中国における儒教のルネッサンス― 共産党の政権強化の切り札となるか 」2011年所収)


これは、現在の習近平政権でも踏襲されている。「小康社会」、「和諧社会」、「以徳治国」、「八栄八恥」など、すべてが儒教の教えから導かれている。 関氏によれば、「政権を強化するために、共産党は、実質的に、エリートを体制内に取り込みながら一党支配という権威主義体制を強化する一方で、国民生活の向上を通じて支持を得ようとしている。このような統治術は、「賢人治国」と「民本主義」を標榜し、儒教が理想とする「仁政」からヒントを得ているに違いない。」(同論)


 昨日、中国の社会科学者の方のお話を聞かせていただく機会を得たが、それによれば、「一帯一路」は、欧米のような覇権主義や植民地主義を目的としているのではなく、「天下」(天子が徳を以て治める地域)を平和で豊かな場所にしようとする試みであり、それは、覇道ではなく、王道の道であるという。


 日本の民族派と呼ばれる方々が聞けば、唖然とするであろう。これは紛れもなく、戦前、英米他に戦端を開いた大日本帝国の言い分であるからだ。もちろん、中国の先生は、この儒家社会主義は、「大東亜共栄圏」のような間違った思想とは異なるとお話された。その名分の下に蹂躙された中国国民としては、「大東亜共栄圏」とは悪夢のようなものだ。しかし、満州国は、「五族協和」の「王道楽土」という理想国家を目指して建設されたのだ。また、「大東亜戦争」は、欧米の植民地主義を廃し、アジア諸民族の解放のために戦われたはずだ。それらは、結果的に、欧米亜流の覇権と植民地を求める行為となってしまったのである。


 実は、「王道国家」も「八紘一宇」も、儒教由来のものだ。「天下」を天皇を中心として解釈し直したのが、「八紘一宇」である。「一帯一路」の構想は、まさしく、大日本帝国の掲げた理想の現代版である。そして、それが中国の覇権主義に終わってしまいそうな兆候は、中国が関与しているアジア、アフリカ諸国やオーストラリアにいたるまで、あらゆるところに現れており、すでにいくつかの反発が現実化している。
 よく知られているのが中国によるオーストラリアの港湾租借問題である。中国企業がオーストラリアの地方政府と結んだ北部ダーウィンの商業港の賃借契約について、同国のモリソン政権は、安全保障上の観点から利用制限を含めた見直しを検討している。
 また、インドネシアは、ジャカルタと第2の都市スラバヤを結ぶ鉄道の高速化計画を中国に依存したが、その後日本に協力を求めるなど、中国と距離を取り始めている。
 マレーシアは2018年8月、中国との鉄道建設やパイプライン事業の中止を発表。マハティール首相は、中国との不利な契約を「不平等条約」とし、「新植民地主義は望まない」と、中国による「債務のわな」を警戒した。 

 まさしく、現代の中国共産党が指導する中国は、「一帯一路」、「米中新冷戦」に象徴されるように、かつての大日本帝国の轍を踏もうとしている。
 軍事力を強化して、設定しようとしている対米防衛ラインは、かつて大日本帝国海軍が設定したラインとほとんど同じである。したがって、台湾、尖閣や沖縄、フィリピン、インドネシア、マレー半島が重要なのだ。


 中国の現在の経済発展は、グローバリズムに基づく世界的なサプライチェーンの中心に中国が組み込まれたおかげである。他方では、グローバリズムは、欧米を中心に発展した近代国民国家を解体しようとしている。その結果、ポピュリズムが各国に広がり、国家主義の再来を招いていることはすでに論じた。
 中国が行おうとしていることは、グローバリズムの果実を元に国力を充実させ、儒家社会主義の王道国家、すなわちアジア流覇権国家を実現するという国民国家構想である。しかし、グローバリズムを尊重するならば、国民国家にとらわれず、国際法を重視し、世界連邦の構想を持たねばならない。ここに根本的な矛盾がある。


 世界の各国は、連携して、中国のアジア流覇権国家という企てを阻止し、グローバリズムを発展させ、その究極に予想される世界連邦の実現に向かわなければならない。その過程の中でこそ、資本の暴走は抑制され、貧富や医療や生活の格差も解消の方向に向かい、そして何よりも、人類や個人の多様性が尊重されるであろう。                    (2021/05/30)

世界-中国論-日本