宮司のブログ

こんにちは。日吉神社の宮司を務める三輪隆裕です。今回、ホームページのリニューアルに伴い、私のページを新設してもらうことになりました。若い頃から、各所に原稿を発表したり、講演を行ったりしていますので、コンテンツは沢山あります。その中から、面白そうなものを少しずつ発表していこうと思います。ご意見などございましたら、ご遠慮なくお寄せください。

コロナ後の世界

2020年5月26日   投稿者:宮司


 新型コロナ肺炎の世界的なパンデミックは、人類社会に強大なインパクトを与えた。
多くの人々が、これからの社会は、決して以前のような社会に戻らないであろうと予測している。一体どうなって行くのであろうか?

 今回のパンデミックで、私たちは、今更ながらグローバリゼーションの深く広い進展に気付かされた。中国で発生し、日本や韓国の対応を心配そうに見守っていた米国が、3ヶ月後には世界最大の感染国となった。これは、ヒト、モノ、カネの交流がつくるグローバル社会がいかに深く進展しているかを示すことになった。
 第一次世界大戦の終わりころにも、世界はスペイン風邪というパンデミックに直面した。しかしこの時は世界的な流行となるのに1年以上を有している。違いは明白である。

 今回のパンデミックを収束させるために、世界各国は、感染者を発見し、隔離するという対策をとった。1、2ヶ月とはいえ、このために人々の直接的な交流は大幅に制限されることとなり、それは経済活動のエネルギーを奪った。第2次世界大戦の引き金となった大恐慌以上の経済不況がやってきた。そこではっきりしたのは、現代の人類社会が必要としている生産物が、極めて複雑でグローバルな生産過程のもとで作られているということである。
 1929年の大恐慌の不況を、各国はそれぞれ自給自足の経済圏を作ることにより乗り切ろうとしたが、今回はそういうわけにはいかないようである。当時と比べてはるかに複雑で大規模なサプライチェーンが網の目のように存在している現代社会では、簡単にそれを分断することはできない。コロナのパンデミック以前に米中は貿易戦争の態であったが、これとても、本当に相互に経済的な独立をすることなどできるわけがない。I-Phoneは、カリフォルニアでデザインされ、中国で生産され、世界中に出荷されている。中国の経済力の7割は外国資本に依存している。そして得た貿易黒字はもっぱらドル資産として保有されている。米国市民の日用生活品の大部分は中国で生産され、それを自国生産とするには改めて米国内に工場を作らねばならないので、コストオーバーとなってしまう。こういった事実を見れば、グローバル社会では、もはや一国のメンツで孤立して生きて行くことは、どのような国家でも不可能である。軍事のみがそれぞれの国家の独自のものであるが、軍事力で経済問題は解決できない。

 ここから見えてくるのは、コロナ終息後も、サプライチェーンはグローバルであり続けなければ、必要な生産材も消費財も調達できないということだ。幸い第一次、第二次の世界大戦のような物理的な人間同士の戦争とは異なり、このウイルスとの戦争では、ハードの社会資本は傷ついていない。したがって、経済活動のエネルギーが復活すれば、適切な市場操作と潤沢なマネーサプライにより経済力の回復は短期間に達成されると思われる。
 しかし、社会生活は、新たなパンデミックの警戒のために抑制されるであろう。つまりソフトが変わるのだ。最近インターネットを使用した討論が各地で行われている。これは、最新の技術を使用して、人類は個人のレベルで相互に向き合い、語り合い、意識を高めあい、社会を進歩させて行くであろうことを示している。教育もこの流れに沿って、極めて個人的なものとなって行く。教師と生徒が個と個としてネットを通して教育の場を作ることが考えられる。集団的な学校教育は崩れて行くであろう。そこでは、教育に国家が介在し、国家意識を植え付けるような集団性は機能しなくなり、いわば塾のように知識の取得と創造性の開発のようなことに特化していくのであろう。ここでも、国家は希薄となっていく。
 かつての冷戦時代は、主権国家が主役となり、平和の達成は、国家間の和解と調停を抜きにしては考えられなかった。しかし今、国家の役割は激減した。その主権性はほとんど消失してしまった。もはや軍事力があるからといって、物理的な戦争で問題を解決することなどできはしない。核兵器の発達が核戦争を抑止したように、豊かな物質生活への限りない欲望がグローバル社会を現実化し、サプライチェーンを含む経済のグローバル化は、戦争を不可能としたのだ。かつて日本では食料やエネルギーの自給率の低下が危ぶまれ、戦争が勃発した場合の危険性が主張されたが、もはやグローバルなサプライチェーンが崩れることなど誰も予想だにしない。今回のコロナのパンデミックで、全ての人類はそれを現実として認識することとなった。
 次にやってくるのは、唯一国家の独自の力として残っている軍事力のグローバル化である。それは、地球警察軍を構成し、その部隊に自国の軍隊の一部を派遣することにより安全保障を得ることのできるシステムである。世界はそのように進むであろう。
 
 つまり、国家、会社、教団などの組織を通して個人がつながるのではなく、直接的に個人間の人間関係ができ、その地球規模のネットワークが、人類社会をデザインするという方向がやっと出来上がるのだ。人間は発生当初から、自分を守るために仲間と連携し、組織を作り、その中で安全保障を得た。しかしそれは一方では、組織間の対立を生み、人類は自身の安全のために相互に戦い続けることとなった。そのパラドックスがこれからは解消していくと考えられる。もちろん簡単ではない。紆余曲折はあるであろうが、科学技術の追求とその正しい応用を続ける限り、そのような地平が現れてくると考えて良い。

                                    (2020/05/26)

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