宮司のブログ

こんにちは。日吉神社の宮司を務める三輪隆裕です。今回、ホームページのリニューアルに伴い、私のページを新設してもらうことになりました。若い頃から、各所に原稿を発表したり、講演を行ったりしていますので、コンテンツは沢山あります。その中から、面白そうなものを少しずつ発表していこうと思います。ご意見などございましたら、ご遠慮なくお寄せください。

近代化の終着点

2018年3月6日   投稿者:宮司

 本ブログで、様々な角度から、近代化を論じてきた。
 締めくくりとして、近代化の後を予測しておく。

 人類は、サルと同様、最初は、いくつかの家族が協力して小集団(ムラ)をつくり、自給自足経済の中で人生を終えた。サルは、子供も孫も、親と同様の方法で人生を過ごす。しかし、人類には知恵があり、親の学んだ事柄を子供に継承し、子供はそれを出発点として工夫を凝らし、人生をより良いものにしようとする。孫はさらに工夫を凝らす。このようにして、人類は自らの生活環境を自らの手で変革し、それを、代を重ねて続けてきた。

 その中で、協力するための道具として、言葉や文字を発明し、互いの意思疎通を滑らかにした。こうして、小国家ができ、時代を経るに従って、より大きな範囲の国家ができ、より多数の人々が協力して社会を作るようになって行った。家族は、大家族である。それは生産と繁殖を手作りで行う単位として一定以上の人数が必要であったためである。人々の交流の必要性が増すにつれ、道路ができ、船や馬車ができ、郵便制度ができ、より広い範囲で、交流が行われるようになっていった。

 ところで、交流は、基本的に、余剰生産物の交換により、互いにより良い生活資源を得るために行われた。この中で、貨幣や市場が制度化され、都市ができた。しかし、平和的な場合はそうであるが、略奪を目的とする場合は、戦争が行われることになる。アレキサンダーの遠征も、チンギス・ハーンの征服も、十字軍の派遣も、略奪による富(財宝)の獲得が主たる目的であった。もちろん指導者の大義や目的は別のものがあったであろうが、兵士達の目的や喜びは富の簒奪にあった。日露戦争の見返りが少ないと行って暴動を起こした日本人をみれば、戦争が富の獲得のために行われるということが、前近代の常識であったことがわかる。

 古代から近代の入り口に至るまで、基本的に生産力の伸びは、耕地や牧草地の面積の増加に依存しており、従って、より大きな領有地の獲得が、国家の富と直結していた。もちろん、人民の確保は、軍隊の力と直結する。従って、国家間の争いは、土地とそこに生きる人民の獲得の争いでもあった。

 このような状態は、18世紀の西洋で始まった近代化に伴う、科学技術の応用による生産力の爆発的な発展によって一変した。それから300年間、近代化のより広い、より深い進展の中で、人類はそれ以前の常識を覆す社会を作り出すこととなった。これは人類史を二分する屈折点であるように見える。

 基本的に手作業と肉体労働に依拠していた生産活動は、機械の導入と様々な技術革新によって一変した。農業では、機械の導入や品種改良によって単位面積あたりの収穫量を増大させ、灌漑や自然災害への対策は、農作物の作付け可能地域を増加させた。諸工業の発展による科学技術を応用した様々な生産物は、人類の生活様式を一変させ、生活環境を変えた。日常生活は自動車や家電品のおかげで便利になり、女性も男性も、前近代の肉体的な労働から解放され、世界的に発達した交通網は、人間や荷物の移動を軽やかにし、莫大な量の移動も可能とした。技術や資本や情報や生産物の移動も人間同様にスムースとなり、交流はグローバルなものとなった。この近代化に伴う食糧生産の増加と安定は、医療技術の発展とも重なって、人口の飛躍的な増大を促し、それが消費をさらに増加させ、投資を生むという形で、急激な経済成長を引き起こした。

 この近代化は、人類に、前近代のような、富や領地の獲得を目的とする戦争を無意味なものとした。いまでは、国内の治安を整え、社会資本を整備し、先進国からの投資を呼び込む環境を整えれば、国際資本が投下され、産業社会が到来し、雇用が増進し、都市化とともに国内産業も発達し、経済成長が起こり、富が蓄積されて行く。戦争よりはるかに合理的に、そして何よりも平和的に経済成長による富の獲得が可能となった。

 しかしもちろん、このような体制は、近代の最初から約束されていたものではない。主権国家が対立していた時代、自由貿易は大幅に制限され、技術や資本の移転は不可能であった。それが近代に至ってなお、人類が戦争を行った理由である。日本も、経済成長を1960年代に起動させる折は、資金を世界銀行の融資に頼ったのであり、海外からの投資を呼び込むことは不可能であった。しかし、遅れて近代化に舵を切った中国では、グローバル化の進展により、海外からの資金や技術の移動によって、短期間に経済成長が始まったのである。最初に近代化を始めた西欧では、グローバル化に至る近代化の完成まで300年かかった。アメリカでは200年、日本では150年、中国では50年。後発であるほど、近代化へのステップは短期間となる。今後、近代化を進める国は、さらに短期に近代化が可能となるであろう。

 このような考えに立てば、容易に、現代は、世界の経済圏に入り込んだ国家間では、戦争は起きないであろうことが予測される。戦争を行い、生産システムを破壊すれば、影響は他の国々へも波及し、世界経済の破綻を招くからだ。従って、国家の最大の安全保障は、経済をグローバル化することに尽きるということができる。逆に言えば、世界の経済圏に参加していない国は、戦争に巻き込まれるということだ。特に、現代の戦争の多くは、軍需産業の新しい武器の実験や古い武器の消費のために行われるのであるから、そのような地域が狙われやすい。

 さて、近代化の最大の問題点は、人口の増大に伴う、環境の悪化と資源・エネルギーの枯渇という問題である。この問題に対し、様々な議論が起こっている。一つは、資本主義市場経済のもたらした大量生産、大量消費の生活を改め、節約と資源再生を中心とした循環型社会に変えるべきだという主張がある。これは、消費意欲を刺激する情報化型市場経済を否定するものであり、共産主義的な管理型の経済運営を指向するので、より魅力的な生産物をつくりだすイノベーションが不可能となるので、現実的ではない。また、発展途上国の人口増加を止めるために教育を施し、あるいは、先進国の人々のための商品作物の作付けをやめさせ、先進国も発展途上国も食料を自給自足するといった主張があるが、これも全く現実的ではない。発展途上国の人口増加は、近代化の途中であることを意味している。近代化によって得られる科学技術文明は、過去のどの文明とも異なり、全ての人類が希求するものであるがゆえに、発展途上国の全てが近代化を完成させるまで、その動きが止むことはない。

 世界の人口が増え続ければ、遠からず、地球は有限であるので、矛盾が増大して、人類は滅びるか、地球外に生活の場を求めるかしかない、と言った主張が、20世紀にはなされた。いわゆる人口爆発の危機である。しかし、近年の人口動態の調査結果は、全く違った見通しを我々に与えている。すなわち、先進国では、軒並み出生率が低下しているということである。これは、近代化された社会は、都市化に伴う人口の都市集中が起こり、そこでは、核家族化が発生し、男女平等社会の進展とともに、出生率が低下するのである。例えば、日本では2016年の合計特殊出生率(女性が一代で産む子供の数、一夫一婦制の社会では、両親から生まれる子供の数となる)が1.4であるから、もし、これが80年続けば、人口は70%となる。さらに80年続けば、49%、さらに80年続けば、わずか34%となる。現在の出生率や平均寿命がそのままとしてこの値であるので、実際は、さらに減少が早まるであろう。現在の最新の予測では、世界人口は、今世紀の最後の四半期の頃より減少に転ずると考えられている。このことは何を意味するのか?答えは簡単だ。全世界の地域を近代化すれば、人口は自然減少するということだ。反対に、近代化途中の地域が残れば残るほど、人口は減少しない。近代化が早く進めば進むほど、人口のピークは低くなる。つまり、一般に言われている対策は、全て逆効果なのだ。先進国では、少子高齢化の対策として、出生率を上げることが模索されているが、無意味なことだ。行うべきは、若年労働力を発展途上国からの移民に頼り、彼らに技術を与え、自国の近代化の原動力とすることである。

 世界人口は、発展途上国で増えつづけている。これらの発展途上国をできるだけ早く先進国へ導き、出生率を低下させなければならない。世界人口がピークアウトするまで、環境の破壊や資源の枯渇を、科学技術の発展によって、最小限に止め、人口の自然減少を待たなければならない。これが、人類に課せられた最大の課題である。「持続可能な開発」の真の意味がここにある。また、急激な経済成長は、近代化の過程で、一回だけ起こるものだ。それは人口増加に伴う消費の爆発的な増大に起因している。従って、近代化を終えれば、経済成長は次第に緩やかになる。量の成長から質の成長にシフトしない限り、結局経済成長は終焉する。それを理解できない指導者が無理に経済成長を求めれば、誤った政策により混乱を起こすこととなる。

 近代化の終着点以降の人類は、一定の規模に人口が減少したならば、安定的に人口が維持されるために、地球規模で対策を講じる必要が出てくるであろう。また、近代化に伴う社会の病理を克服するために、小集団の共同体を作ることを中心とする様々な政策が実行される必要がある。現在の北欧諸国にこの社会のモデルが存在する。このような対策を世界的に講じる中で、経済的に一体化した諸国家が、政治的にも一体化する可能性が検討されるであろう。このようにして世界連邦が作られていくと考えられる。すでに、我々は、EUという国家の連合体を目にしている。将来は世界がこのようになっていくと考えるのが自然である。 (2018/03/06)
 

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