宮司のブログ

こんにちは。日吉神社の宮司を務める三輪隆裕です。今回、ホームページのリニューアルに伴い、私のページを新設してもらうことになりました。若い頃から、各所に原稿を発表したり、講演を行ったりしていますので、コンテンツは沢山あります。その中から、面白そうなものを少しずつ発表していこうと思います。ご意見などございましたら、ご遠慮なくお寄せください。

武士道

2016年8月18日   投稿者:宮司

 神社本庁や日本会議系の民族派の人々は、「國體」、「導義国家」と言った言葉を使い、常に日本を、世界で唯一無二の国とする傾向がある。その人々がよく使用するもう一つの言葉が「武士道」、あるいは「武士道精神」という言葉である。
 今回は、この武士道という言葉について吟味してみよう。

 武士道とは、武士(侍)の生き方、といった意味である。その意味で、最も古い武士の生き方を示した古典は、鎌倉時代の「御成敗式目」である。しかし、この法律は、当時の律令法や公家法に対し、御家人として守護、地頭となった武士の職務を明確化し、荘園領主である貴族や寺社と武士との間の軋轢を解消する目的で作られたものであり、その他、寺社の修理、武士の相続、犯罪の取り扱いについての定め等があるが、武士の生き方の精神性の部分に対する言及は存在しない。

 この法律は、公家法などと同様、徳治主義の観点で作られており、江戸時代に儒教道徳に基づいた武家諸法度が制定されるまで、基本の前例として、諸々の武家政権の法令の基礎となった。

 戦国時代に入ると、武士の実践的な生き方を、武士道として捉えるようになる。

 有名なものに、藤堂高虎の家訓200条の中の40条に、「数年昼夜奉公をつくしても気も不附主人ならは譜代なり共隙を可取うつらうつらと暮し候事詮なし情深く理非正しくハ肩をすそにむすひても譜代の主人といひ情に思ひかへとどまるへし」がある。これは、高虎自身が主君を度々変えているので、残された言葉であろうが、彼の事績を見れば、忠義が実利を伴っている。すなわち、良い主君には、忠節を尽くすが、悪い主君は見限るという考え方が見て取れる。一方、高虎は、儒教の仁、義、礼、智、信を大切にするようにとの遺言を嫡子に残している。また、忠実な家臣に、殉死を禁じている。死んだつもりになって藤堂家と徳川家に忠節を尽くせ、という意味である。

 織田信長が本能寺で討たれた時、森蘭丸を打ち取った明智家臣の安田作兵衛は、明智家が滅びた後、蘭丸の長兄の秀吉家臣の森長可のところへ行き、仕官を希望した。長可は、蘭丸を討った人物と知りながら、武勇ありとしてこれを召し抱え、長久手の戦いの折、長可が戦死すると、作兵衛は浪人し、さらに他の武将に仕えた。

 現在、NHKの大河ドラマ「真田丸」が放送中であるが、真田昌幸は、徳川、豊臣どちらへ世の中が移っても真田氏が残るように、長男信幸を徳川に仕えさせ、次男信繁を豊臣に仕えさせた。武士道は、かくも実利的な生き方だった。

 儒教は、仏教以前に日本へ入っており、天智天皇、天武天皇の時代に既に大学、国学などの学問所で講義されていた。古代から、官吏の学問として受容され、日本の明治以前は、儒教による徳治主義の政治が基本だった。

 江戸時代に、武士の学問として儒教の新版である朱子学が採用され、官学となるとともに、儒教は、武士の道徳となった。戦乱が収まり、平和な世が続くようになると、武士の生き方を指南する書物が出るようになる。有名なものに、佐賀鍋島藩士山本常朝の口述である「葉隠聞書」がある。葉隠では、「武士道と云うは死ぬことと見つけたり」という一節が特に有名である。この葉隠は、当時の山鹿素行などの儒学的武士道を批判し、「死に狂い」という極めて一途な精神性を説いている。藩政批判の部分も含み、発表当初は、禁書扱いされたという。しかし一方、501項目からなる聞書の内容は、全般的には、武士の世渡りの方法とでも言い得る、多岐にわたる様々な日常の身の処し方を示していて、極めて実践的、実用的な書である。思うに、先の一節とか、「太平記」に記された楠木正成の遺言に影響されたと思われる、「蝮蛇は七度焼いても本體に返る」から導かれる「七生報國」といった精神性の強い言葉のみが、明治以降、特に引用されたために、「葉隠聞書」が武士の精神を描いているという誤解ができたのだろう。興味深いのは、「七度浪人せねば誠の奉公人ではない」という藤堂高虎の生き方を称賛したような項目もあることだ。

 このように見てくると、江戸時代までは、武士の生き方というものは、儒教道徳に裏打ちされてはいるが、極めて実用的、実践的なものであったことがわかる。これが明治以降、つまり武士という存在が無くなってから、極めて精神性の高いものにすり替えられていった。

 明治15年、軍人勅諭が作られ、この中に五つの徳目が示された。忠節、礼儀、武勇、信義、質素である。前文においては、明治になり、古代以来の天皇が直接軍隊を指揮する時代となったことを明示し、二度と中世以降の武家政権が兵馬を担当するような国にしてはならないと説く。この当時の「國體」意識は、天皇の直接統治であり、兵馬の直接指揮であったことがわかる。しかし、これは大日本帝国憲法の発布以降は、立憲君主制の体制を取ろうとするので、天皇は、「君臨すれども統治せず」といった体裁に変わっていく。しかし、帝国憲法そのものが、法の実質として立憲主義を内在していなかったために、一部の指導者による専断政治に道を開いたことは、本ブログの「天皇と神社・神道」において述べたとおりである。

 軍人勅諭において、天皇と軍隊が直接結びつけられ、天皇の直接統治が述べられていることは、1930年代以降、軍人の一部が暴走し、5.15や2.26のようなテロ、もしくはクーデターまがいの事件を起こし、結果的に軍部による専制支配の全体主義体制を生み出していったことの原因の一部となった。

 ともあれ、ここでは、武士道と、軍人勅諭の関わりを考えてみる。国民皆兵の制度のもとに、新しい軍隊組織を作った旧武士たちは、武士道精神を軍隊に植えつけようとしたことは、想像に難くない。しかし、平民出身の兵隊を鍛えるために、武士道の実用性、実践性を離れた精神論が主流となっていった。特に「忠節」は、天皇に対する忠節であるから、他の主君を求めたり、主君が頼りないからといって軍隊を捨てることなどは許されない。注目すべきは、「質素」という徳目が記されていることだ。これは、近代工業化のための資本蓄積を行うために、国民一般に質素倹約を説いたためであろう。

 そして、この「質素」は、現代では、資本主義の消費社会を批判する言葉として使用されている。確かに、際限のない富への欲求は、精神的な幸福感をもたらすものではなく、常に渇望と不安感を生み、現代人のストレスとなる。現実的には、人類は、欲望の抑制を倫理として持つことが必要である。しかし、それは、合理的な生産性を否定するものであってはならない。人類の個体数が極限に近付こうとしている現代にあって、資本主義の生産システムは、合理的に大量の質の良い消費財を生み出すために最も適した方法であり、欲望の抑制は個々人の意識の覚醒として現れるべきもので、資本主義の生産システムを否定して、統制型経済システムを採用するときの、人々の不満を抑えるための道徳として与えられるものではない。

 少し戻って、戦争中の1941年、兵隊に与えられた、「戦陣訓」を見てみよう。これは、陸軍大臣名の通達であり、戦争遂行中の兵隊の戦地における暴行略奪の類を禁止することが当初の目的であったが、軍人勅諭を補完し、一般の兵隊に細かく指示を与えることも目的としたために、強い精神性を持つものともなった。有名なのは、「生きて虜囚の辱めを受けず」という一節であるが、これは以下の文中からの抜書きである。

「恥を知るものは強し。郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励してその期待に答ふべし、生きて虜囚の辱めをうけず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ」

 捕虜となることを忌避する傾向は、日清戦争の折、中国軍の日本軍捕虜に対する残虐な扱いを受けて、捕虜となるよりは自決せよ、という訓令が出されて以来、日本軍の伝統であり、そのため、捕虜の公正な扱いを取り決めたジュネーブ条約を日本は批准しなかった。もちろん敵兵の捕虜に対しては、日本は武士道に則り、公正な扱いを行い、第一次世界大戦の折の獨逸兵捕虜は、日本国内で良い待遇を受け、様々な獨逸文化を日本にもたらした。

 しかし、第二次世界大戦、大東亜戦争時の日本は、度重なる敗北の結果、多くの将兵を玉砕突撃や自決に追い込み、いたずらに兵の損耗を著しくし、その結果、戦闘遂行能力の高い兵隊を失い、作戦参謀本部にも戦闘経験のあるものが減り、敗戦を早めた。中国戦線では、兵站の不足により、便衣兵を含む捕虜の待遇に困り果て、これを殺処分とし、南京大虐殺という虚説の汚名を浴びることになった。また、沖縄戦などでは、一般市民にも自決を強要し、悲惨な結果を招いた。

 本来の武士道であれば、実践的な教えが中心であり、捕虜となっても、情報を漏らさず、機を見て脱出し、再び戦線に戻るといった教えになったであろうが、明治以降の日本軍は、武士と異なる平民を一人前の兵隊に育てようとするあまり、当初から精神主義に偏り、最終的に無残な結果を導いたと言える。

 武士道という言葉は、古書にも散見されるが、最も有名になったのは、1900年、新渡戸稲造が英語で表した「Bushido: The Soul of Japan」によって、世界中に武士道の単語が広まってからである。新渡戸自身は、米国ジョンズ・ホプキンス大学出身のリベラルなクエーカー教徒であり、後年、国際連盟事務次長となり、人種差別撤廃提案を成立させようとした。米国ウイルソン大統領の反対で否決となったが、大方の支持を集め、当時、日清、日露の両戦争で勝利した日本は、非白人国のリーダー格であった。その新渡戸さえ、1932年には、「わが国を滅ぼすものは共産党と軍閥である。そのどちらが怖いかと問われたら、今では軍閥と答えねばならない」との発言が新聞紙上に取り上げられ、軍部や右翼、特に在郷軍人会や軍部に迎合していた新聞等マスメディアから激しい非難を浴びた。

 新渡戸の説いた武士道とは、何よりもフェアプレイの精神であり、名誉を重んじることを武士の特徴とした。鎌倉以来の封建制と仏教(禅宗)と神道と儒教(孟子)が武士道の源であるとして、封建制は、軍事、警察、行政専門職としての武士を生み、武士は、仏教から、禁欲と静謐を学び、神道から忠誠心、先祖崇敬、孝行心を学び、孟子から、道徳を学んだ。武士の道徳とは、「義」、「勇」、「仁」、「礼」、「誠」、「名誉」、「忠義」であり、武士は損得勘定を嫌い、質素を貫き、感情を表情に現すことを恥とし、名誉を重んじるために切腹や仇討をするが、いたずらに死に急がない。忍耐と高潔な心を大切にし、刀を大切に扱う。夫婦は互いに一体であると認識し、桜のような散り際の潔さを大和魂という。武士道は、日本に侍がいなくなったが、日清日露の両戦争に見られるように一般の日本人の心の中に生きており、民族の精神となっている、と結ぶ。

 日本人が西洋人と異なる精神を持っていることをわかりやすく説明する立派な論説だが、当の新渡戸が、1932年に述べているように、実際の軍部には、このような武士道精神は見当たらず、少数の例外はあったであろうが、大東亜戦争の折には、軍人の先を争う名誉欲のはけ口として戦線が拡大し、行きすぎた精神論のために多くの将兵や民間人が無駄に命を落とし、ついには未曾有の敗戦となってしまったことは、新渡戸の描いた武士道のような道徳や精神論で国家を運営したら、破綻するということを示している。

 常に述べていることだが、近代という社会は、民主主義と資本主義を社会の中核のシステムとして成立する。前近代の固定的な身分制社会や道徳や精神論で人々を秩序立てることはできない。政府は、国民の了解のもとに成立し、過ちがあれば直ちに交代をしなければならない。つまり政府権力は民意のもとに成立し、所与の権威ではない。

 大日本帝國憲法では、その第1条に「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とあるように、国家は、肇国以来、天皇が統治する国として定められており、政府権力は天皇の委任により行政官が行使するのであり、国民にとってはその意思と無関係な、所与の国家ないし政府権力として成立している。多くの日本人が、未だに、お上意識、親方日の丸意識ともいうべきものを持っているのは、ここに由来する。

 現在、戦後レジームの解体を叫んでいる人々が求めているのは、このような国民の意思を無視できる前近代的な国家であり、憲法改正の行き着く先が、日本国憲法の改定ではなく、大日本帝国憲法の現代版となる理由はここに存在する。

 そして、お上とされる行政官の正しさを保証するのものが、武士道であるというのだ。また、国民は、お上に習い、道徳を実践し、世界に無類の「道義国家」を建設するというのだ。全てが「近代」の否定である。

 最後に、基本的人権と公共の福祉の関係について考えてみる。現在、基本的人権を否定しようとする政治家やその支持者達の論調は、決まって、人権を過度に認めると、公共の福祉に反する結果となる。人権平等の思想は古いものであり、行きすぎた利己主義や個人主義を生むので、間違っている。憲法から基本的人権を取り除かなければならない理由はここに存する、というものだ。

 どのような理由があれ、人権平等の原則を否定するということは、個人の自由を基礎として成立した近代社会を否定し、身分制度に基づく社会秩序が当然とされた時代に戻ることを意味する。現代のようなグローバル化された世界にあって、そのような人権不平等な社会を夢想することは、世界の孤児となることにつながる。それが、世界最高の「道義国家」であるというのだから、呆れる。

 彼らのいう「公共」とは、政府権力の意思であり、その政府権力は、所与のものとして国民に与えられるので、この「公共」とは、民意を無視したものだ。

 しかし、近代社会の「公共」とは、政府が民意によって作られるので、政府権力は、民意の集約として行使されなければならない。よって、真の「公共」とは、不断に民意の検証の元に晒されなければならない。これを保証するものは、思想、言論の自由を中心とする基本的人権の存在である。

 まとめて言えば、「公共」概念に対立するものとして、基本的人権を措定し、これを否定することは、政府権力が民意と無関係に使用されることを導く。結果的に民主主義を根本から破壊することとなる。

 民族派系の政治家や思想家は、徹底的に民主主義を潰そうとしている。そして、前近代的な所与の国家と政治権力を作り、国民を思想的には道徳で規制し、法律的には人権否定で従順な国民を作り、自分たちの思い通りの国の運営をしようとしている。自分たちは極めて優秀なリーダーであるから、常に正しいことをすると思い込んでいるのだろうが、実態は、まさしく、国家と社会の私物化である。

 日本の国民は、これを許すのであろうか?
(2016/08/18)

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