宮司のブログ

こんにちは。日吉神社の宮司を務める三輪隆裕です。今回、ホームページのリニューアルに伴い、私のページを新設してもらうことになりました。若い頃から、各所に原稿を発表したり、講演を行ったりしていますので、コンテンツは沢山あります。その中から、面白そうなものを少しずつ発表していこうと思います。ご意見などございましたら、ご遠慮なくお寄せください。

憲法改正運動の危険性

2016年7月2日   投稿者:宮司

 憲法改正運動の危険性

 本日は、皆さんに率直にお話ししたいと思います。それは憲法改正の運動についてです。神社本庁や神道政治連盟、美しい日本の憲法を作る国民の会、自民党の全ての憲法改正運動に対してです。

 皆さんは、これらの改正運動が目指す日本国の改変の内容が全て同じであるということをご存知ですか?

 それよりも皆さんは、美しい日本の憲法とはどんな内容であるかご存知ですか? 美しい日本とはどのような日本であるかご存知ですか?

 これらの運動の根っこにいて、日本を自分達の思い描くような国にしようと考えている人たちがほんの一握りであることを知っていますか?

 そしてほとんど何も知らないままに現在、700万人もの人々が憲法改正の署名に応じていることを知っていますか?

 今、日本は、大変な曲がり角に差し掛かっています。それを知らずになんとなく社会の雰囲気の中で憲法改正に応じてしまったら、とんでもない社会が実現してしまいます。うっかりEU離脱を決めてしまって困り果てている英国以上のひどい現実が待っています。   今日はそのお話をいたします。

憲法改正運動の危険性

 憲法改正というと、まず憲法9条、戦力放棄条項の問題に目が行きます。しかし、これは問題点ではありません。すでに日本は自衛隊という立派な軍事力を持っています。しかも、昨年の安保法制の制定で海外の派兵も可能となりました。憲法の改正では、現状を追認するにすぎません。

 本当に恐ろしいのは、今、盛んに報道されている「緊急事態条項の新設」です。

 これは、戦争事態や、強力な伝染病の爆発的な流行の事態などに、法律や条例を飛び越えて、中央で行政権を持つ人が一方的に、その事態の対応に必要な命令を出し、全国民がそれに従わなければならないということを可能とするものです。これは一見必要であるように見えます。しかし、それはむやみに発動されるものではないし、発動された場合も基本的人権の過度の抑圧にならないように注意深い運用が義務付けられなければなりません。

 ところで、今、緊急事態条項が必要であるという例に常に取り上げられるのは、東日本大震災の折にガソリンが不足して緊急車両が十分に運行できず、そのため多くの助かるはずの命が助けられなかったというものです。櫻井よし子さんや百地章先生が各地の講演会で配るパンフレットや発言に常に登場する事例です。しかしこれは真っ赤な嘘です。今年の4月30日の報道特集というテレビ番組がそれを明らかにしました。テレビ局が調べたところ、そのような理由で運行できなかった緊急車両は一台もありませんでした。また、インタビューに答えた被災地の首長も、緊急事態条項のような法律よりも、地方自治体に権限を委譲してもらった方が、対策が上手くいくと言っていました。櫻井よしこさんや百地章さんは、先ほど申し上げた一握りの人たちの一部です。一体、何故、明らかな嘘をついてまで緊急事態条項を憲法に盛り込もうとするのでしょう?それよりもこのような嘘を平気でつく人たちを許しておけますか?

 ここで思い出してください。福島の原発が大変なことになった時、少量の放射能は体に悪いのではなく逆に体に良いのだということを各地で講演し、マスコミにも発表した人たちがいました。今ではすっかり姿を消しました。役目を終えたのです。彼らの役割は、放射能はたいして害があるわけではないと宣伝し、国民を安心させることだったのです。もし少量の放射能に害がなく体に良いのであれば、福島原発のゴミを国会議事堂の横に埋めれば良いのです。もちろんそんなことをするはずはありません。

 もう一つ、思い出してください。戦争の終わり頃、ラジオ放送は、軍艦マーチの後でいつも本日の大戦果を発表していました。大本営発表です。国民に嘘を宣伝したのです。儒教に「民はよらしむべし、知らしむべからず。」という言葉があります。国民には本当のことを教える必要はない。ただ命令によく服従させれば良い、ということです。

 ある法律を制定するために平気で国民を騙していれば、そういう法律を作った政府は、その運用についても平気で国民を騙すでしょう。

 平気で嘘をつくことが政府に許されるならば、緊急事態条項を使って例えば私一人をそっと殺すために清須市で恐ろしい伝染病の流行が始まったとして清須市を封鎖し、私を含め市民を全て殺してしまってからこれで安心です、という映画のような筋書きも可能です。政府の権力というものはそれほど恐ろしいものです。

 ですから政府は常に国民の手によって監視されることが可能となっていて、場合によっては国民の意志で取りかえることが可能となっていなければなりません。これを保障するのが憲法をはじめとする行政法です。このように法律によって政府を縛ることを立憲主義と言います。

 ところが、皆さんが賛成しようとしている美しい日本のための憲法とは、これと正反対に、政府が国民を意のままに動かすために法律を使おうとします。

 それが美しい日本の国体、つまり国のあり方だというのです。根拠は、日本は古代から天皇が治める国であり、天皇は国民の意思を尊重し、国民は天皇を父と仰ぎ、その指導によって国を発展させるというものです。これを家族主義的国家観と言います。そこでは天皇は常に国民のことを思って政治をしてくださるので、西洋の専制君主と違って悪いことはなさらないということが強調されます。これを王道政治とも言います。中国の孟子の説いた教えです。

 このような政治は、君主は常に国民のことを大切にし、国民は常に天皇の御意志を尊重して生きていくことが大切であるとされます。これを君民一致、君民共和と言います。このためには国民は自分たちの生活の中でも、家族を基盤として生活し、家族道徳、つまりお父さんの言うことを尊重して家族みんなが助け合って生きていくことを道徳としなければなりません。憲法改正草案の中で家族条項を作り、家族の大切さを新しく規定しようとしているのは、まさしくこの狙いです。もちろん、家族が助け合って生きていくことや、互いに信頼や愛情を持って結びつくことは、人間として当然の行為であり、道徳としても正しいものです。しかし、これを天皇陛下がお父さんであり、国民が家族であるから、天皇陛下の御意志に沿って全国民が協力するのが国の大切な道徳であるとすると大変なことになります。天皇陛下の権威のもとで政治を行う一部の人々が、正しい政治を行うという保証は、道徳的な信頼以外には何もないからです。お父さんには簡単に文句を言えても、政府に文句を言うと、警察に連行されてしまいます。こんな社会をお望みですか?

 さて、ここで天皇陛下のことを、この憲法を作ろうとしている人たちはどう考えているかお分かりですか?皆さんは私も含めて、いつも神社関係の大会の後で天皇陛下万歳と三唱します。この時どんな天皇陛下を頭の中でイメージしていますか?

 私は、現実の御皇室にいらっしゃる天皇陛下です。皆さんもそうでしょう。しかし、憲法を改正しようとしている人たちの頭の中は違うようです。神道政治連盟の主席政策委員の田尾先生は、ある会合で、すべての天皇は大御心という天皇精神をお持ちであるはずだが、時には御心だけで大御心のない方がいらっしゃる。その場合は臣下が諫言する、つまり忠告することができる、と言っています。簡単に言えば、自分たちに都合の良い天皇陛下だけが天皇陛下であると言っているようなものです。

 そうなりますと、天皇陛下の御意志というのは、天皇陛下の陰に隠れて政府を指導している一群の人々の意思ということになります。これは一握りの人々が、自分たちの意思で政治を動かしていく形です。しかし、その名目的な指導者は天皇陛下ということになります。彼らは名前も出さず、責任も取る必要はないのです。これは、昭和天皇が戦争を嫌がったのに、無理やり天皇陛下の名前で英米との戦争を開始し、敗戦となった時には天皇陛下のご存在の継続だけにこだわった人たちと同じ考え方の人々です。天皇陛下のご存在は、自分たちが政治をノーチェックで行うことができるために必要なのです。

 現実の天皇陛下はどうでしょう?国内では報道されていませんが、外国の報道では、天皇陛下も親王殿下も度々、現在の政権がやろうとしている歴史の書き換えや、大東亜戦争を良い戦争だったとする考えに懸念を示されています。

 女系天皇の問題については、天皇陛下は何もおっしゃいませんが、今、神社界で話題の宇佐神宮の宮司後継者の問題で、学習院の同窓会の折、伝統的な到津家の後継の女性の母に、あなたの娘さんが宮司になるのは当然だよということをお話になったという一事を考えてみても、女性に対する差別の意識は持っておられないと思います。神社本庁は、宇佐神宮の女性宮司を認めず、今でも問題になっています。私は、民間が天皇家のことがら、特に婚姻とか後継の問題に口を挟むことは実に失礼であると思っています。

 しかし、憲法を変えていこうとしている人たちは、ありのままの天皇陛下を尊敬するのではなく、自分たちの主張に合わせて振舞ってくれる天皇陛下のことを思って万歳をしています。それは自分たちの主張万歳と言っているようなものです。しかし、それをあからさまにしては都合が悪いので、天皇陛下というご存在を隠れ蓑にして、自分たちの主張を通そうとしているのです。

 このような人々が政権を握り、自分たちに都合の良い憲法を持てばどうなりますか? 皆さんはこの人々に皆さんと日本の国の今後について白紙委任状を出してしまうようなものです。

 しかし、憲法を変えることに賛成するのは国民である皆さん自身です。責任は皆さんの手にあります。

 昔の大日本帝国は、法律上、最初から、天皇主権、そして天皇は統治権を総覧することになっていました。つまり天皇の名を借りた一部の人々による独裁政治であったのです。これを止めるには革命のような血なまぐさい政治闘争が必要でした。もちろんそんなことは起きず、大日本帝國は、最後に英米と戦争をして負けてしまったのはご承知の通りです。

 しかし、今は、平和的に独裁政治を止めることができます。国民主権、基本的人権の尊重を謳った日本国憲法が、アメリカによって押し付けられているからです。だから、日本を昔のような国民を法律で縛って操ることのできる国に変えたい人にとっては、この日本国憲法が邪魔なのです。

 日本国憲法は、政府は国民に依頼されて政治を行うのであり、指導者が間違った政治を行えば常に国民の意志で排除されることを保証しています。このような政治を立憲政治と言います。したがって、国民主権、基本的人権の尊重、三権分立が大切な柱となっています。平和主義も大切な柱でしたが。すでに憲法の読み替えによって無くなっていることはご承知の通りです。現在の改正憲法草案は、国民主権、基本的人権の尊重をなくすことを最終の狙いとしています。これから数回に分けて徐々にそちらの方向に改定されていくでしょう。最終の狙いは、田尾先生もおっしゃっているように、日本国憲法を捨てて、大日本帝國憲法を現代の事情に合わせて一部改定したものを憲法として採用することです。

 そこでは、個人主義を潰し、家族道徳の押し付けで、自発的に国民を自分たちの考える方向に従わせていくということが根本となります。そのために家族条項を新設したいのです。しかし中には反発する人々も現れるでしょう。その人々を潰すために緊急事態条項を新設したいのです。また、家族条項の新設は、一方では親、子、孫三代にわたる大家族制の復活を勧めていくでしょう。これは老人介護を家族に任せることによる社会保障費の節約に繋がります。

 しかし、個人主義の撲滅や大家族制度の復活は、現代社会の有り様に逆らっています。

 現在、皆さんは、70年前の人々の暮らしとは比較にならない便利で快適な暮らしをしています。水道、ガス、電気は毎日絶えることなく供給され、衣食住の生活はたっぷりと満たされ、どこへ行くにも便利な交通手段が用意され、その気になれば世界へ旅行することも可能です。これは世界が工業化、都市化され、自由貿易が発達し、消費経済が世界中に広がったためです。一部の地域ではまだ、未発展のところもありますが、ほとんどすべての都会で高層ビルが立ち並び、コンビニエンスストアが利用できます。電話は携帯で世界中が繋がっています。このような社会を作り出したのが、近代化と呼ばれる科学技術による社会の変化です。このような社会は、村や町のような伝統的な生活スタイルを変化させ、人々は故郷を離れて都会で一人暮らしを始め、出会った女性と結婚し小さな家庭を持ちます。つまり核家族です。人々は個人として、自分の社会に対する関わり方を決めて暮らしていくことになります。つまり個人主義というのは現代の社会に必然なのです。

 それを昔のように家族単位で、それも大家族単位で暮らして物事を決めさせようとするのは無理があります。特に市場経済の社会の中では、それぞれの個人が、自分に有利になるように振る舞うのが自然です。同じ品質であれば価格の安い商品を買い求め、同じ内容の仕事であれば給料の高い方の会社に就職するのです。都会暮らしの人々が農村に戻って、農業を営んで、大家族で暮らすようになれば昔に帰ることができるでしょうが、それは今の便利な社会を捨てることです。愛情と信頼に満ちた人間関係の中で、社会のすべての人々が理解しあって、優秀なリーダーの指令で幸福に暮らすことは夢想でしかありません。

 実は、民主主義という政治形態は、このような利己的な個人が共存することのできる社会を現実的に作るために構想された政治形態です。反対に個人意識がなかった昔のような社会を支える政治形態は、集団主義とか全体主義と言います。改憲を求める人々は、昔に帰りたいのです。

 それでも、経済の有り様は、今のような大量生産、大量消費型の社会を残そうとします。そうしなければ、人口を養えないからです。もちろん昔の不便な生活に戻ることを望む人々は少数です。

 さて、以下は、私の見通しです。将来はこのようになるでしょう。

 このような場合、集団主義の国の指導者は、国民の不満をそらすためにまず、国内に敵を作り、次に国外に敵を作ります。そうすることによって、人々の意識を政府のもとに結集し、政府の政策を実現しようとするのです。もし、憲法改正が進み、大日本帝國憲法の現代バージョンの憲法が実現したら、必ず政府はそういうキャンペーンを行うでしょう。国内の敵は在日の外国人です。国外の敵は、現在は北朝鮮、中国ですが、韓国も嫌われるでしょう。

 米国については、憲法を改正しても、親米のままで、政治の形態は違っても、米国の意向を尊重すると思います。しかし、米国が核武装を含め、日本の軍事的な自立を認め、現在日本が持つ技術によって、米国に対抗できる核戦力を持てば、状況は変わると思います。憲法改正を主張する人々の最終の目標は、愛と信頼に満ちた人類社会を実現することです。最も邪魔なのは、個人主義と民主主義です。これを人類社会から消し去ろうとするでしょう。価値観の差というものは絶対的です。世界を日本流に染め上げることこそ、「八紘一宇」の実現です。「世界は一家、人類は皆兄弟」の実現なのです。

 このような方向性を持った政府と政策が、最後まで目的を完遂できるとは思えません。必ず、世界から見放され、時代錯誤のレッテルを貼られ、滅びていきます。そうなった時に、日本は第二の敗戦を迎えるのです。

 そのような自滅的な日本にさせないために、皆さん、今こそ自覚して、皆さん自身の手で、方向を正さねばなりません。

 私は憲法改正論者ですが、天皇を元首とすることと、軍隊を持つことには賛成できても、民主主義と国民主権を捨てることには絶対に反対です。個人主義と基本的人権もなくしてはいけません。ですから、現在の憲法改正には反対です。もっと改正の方向を議論して、内容を吟味してから改正すべきです。

 もちろん現在の改正論者たちは、草案は一つの案でしかなく、これからきちんと議論して改正の内容を決めるのだというでしょう。しかし、方向性はもう定まっています。そして嘘で塗り固めた宣伝によって国民を騙そうとしています。一事が万事です。緊急事態条項の必要性のために嘘を宣伝する人々は信用できません。政府を縛る法律を取り去るために家族道徳を宣伝する人々は信用できません。

 また、日本の核戦力について言えば、米国が許可しさえすれば、あっという間に米国に匹敵する核戦力を日本は持つことができます。核爆弾用の再処理したプルトニウムは世界を数度破壊できるほどたっぷりと持っています。ミサイル技術も北朝鮮の比ではありません。唯一難しいのが、相互確証核破壊戦略のための原子力潜水艦のエンジンの技術です。戦前に日本は世界の5つの軍事大国の一つでした。大日本帝國の再現を狙う人々は、まずそこまで日本を持っていこうとするでしょう。そして価値観の違う欧米ともう一度戦いたいのです。その段階では、お隣の共産主義など敵ではありません。とっくに屈服させているか懐柔しているでしょう。

 私は、こういった予想が、将来笑話になると良いと願っています。しかし、昔、ドイツ人は同じような過ちを犯し、独裁者のヒトラーを育て上げ、第二次世界大戦を引き起こしてしまったことはご存じでしょう。日本は同じような過ちを犯すかもしれません。止めることができるのは皆さん自身です。結果は皆さん自身の責任です。(2016/07/02)
 
 

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