宮司のブログ

こんにちは。日吉神社の宮司を務める三輪隆裕です。今回、ホームページのリニューアルに伴い、私のページを新設してもらうことになりました。若い頃から、各所に原稿を発表したり、講演を行ったりしていますので、コンテンツは沢山あります。その中から、面白そうなものを少しずつ発表していこうと思います。ご意見などございましたら、ご遠慮なくお寄せください。

安保法制とコンプライアンス社会

2015年7月13日   投稿者:宮司

 巷では、安保法制の論議が盛んである。

 与党執行部は、何が何でもここでこの法制度を実現するぞと躍起になっている。憲法学者達は、3人の特殊な例外を除いて、こぞって憲法違反であると主張している。

 マスコミもやっとこの問題の重要性に気が付きはじめている。
 さて、どうなることか。

 問題点は、それぞれの主張の論点がかみ合わないことに尽きる。

 現実の国際情勢をみれば、一つは中国の軍事大国化と軍人達の膨張主義に東南アジアがさらされていることがある。1929年の大恐慌の後、日本が軍事大国化し、ドイツがナチスに支配され膨張主義の気配を共に見せはじめたとき、英米を中心とする民主主義陣営は、ソ連の共産主義を封じ込めるためにこれをしばらく見逃していた。結果、第二次世界大戦を独日伊が組んで始めた。英米はソ連、中国という共産主義陣営と組んで、これに打ち勝った。

 今、皮肉にも、中国は、かって日本が歩んだ道を歩いているように見える。
チベットやウイグルで少数民族を抑圧し、経済の膨張と共に軍事大国化し、膨張主義をとろうとしているようにもみえる。現在の習近平主席がこれをうまくコントロールできることを願いたいが、いつの世も軍の暴発はありうるものだ。

 一方、イスラム原理主義者の一部は暴徒化し、世界各地でテロ行為を繰り返している。米国を始めとする民主主義グループは、これを抑え込むのに必死である。このような国際情勢の中で、米国と日本がより緊密な双務的な安全保障関係を作ることは、むしろ望ましいことだ。一つは膨張する中国の封じ込め、もう一つは、世界の警察としての共同行為というわけだ。

 当初、安倍首相は、憲法の改正を通じて、すなわち9条の改正を通じて、これを実現しようとしたが、手続き的な難しさに直面し、一旦出直して、現在は、解釈改憲の道を取り、これを実現しようとしている。

 日本では、古代から、(律)令外の官という言葉があるように、法律に対して運用面で融通を効かせ、その遵守にこだわらない習性があった。

 自衛隊ができたのも、個別的自衛権の解釈が可能となったのも、米国による日本国内への核兵器の持ち込みがあきらかになったのに問題化しなかったのも、すべてこの国民的な性質から説明できる。

 つまり日本は、まだ前近代社会のエートスを、戦後しばらくは、いや昭和の時代までは持っていたのだ。しかるべき人に頼めば、交通違反も無かったことになり、正規には入れないような学校や会社に入れたのもこのような社会であったからだ。日本は、なかなか本当の民主主義社会にはなれなかった。

 しかし、平成にはいった頃から、コンプライアンス(法令遵守)という言葉が日常化しだした。すなわち人々が規則や法律を守って生きる西欧先進国のような社会が、日本でも実現しだした。この頃から、日本人は、前時代的な賄賂社会やコネ社会を残している中国や韓国を笑い者にするようになった。

 そこで、今回、解釈改憲である。過去ならいざ知らず、現在では、コンプライアンスを当前と思っている日本人に受け入れられることができるだろうか?

 与党勢力は、多数を武器に、この法案を押し通そうとする。憲法学者のほとんどが、いや法律家のほとんどが憲法違反というのを押し切って、僅か3人の学者の意見を尊重して、憲法の範囲内であると言い通す。

 これは、明らかに立憲主義、民主主義の否定であり、反対派の主張は安保法制の中身から、その無道な法案の通し方に次第にシフトしてきている。
 賛成派と反対派の論点は、完全にずれてしまっている。さてどうなることか?

   
 コンプライアンス重視の日本社会では、本来、憲法の改正を以って、このような政治方針の変更を行わなければならなかったのだが、つい、昔の流儀をとってしまった与党の政治家たちは、次の選挙では、相当手酷い結果を受け入れなければならないだろう。また、立憲主義の否定は、長期的には、欧米先進国の日本に対する警戒心を呼び覚ますだろう。(2015/07/04)

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