宮司のブログ

こんにちは。日吉神社の宮司を務める三輪隆裕です。今回、ホームページのリニューアルに伴い、私のページを新設してもらうことになりました。若い頃から、各所に原稿を発表したり、講演を行ったりしていますので、コンテンツは沢山あります。その中から、面白そうなものを少しずつ発表していこうと思います。ご意見などございましたら、ご遠慮なくお寄せください。

家族・親族間の暴力

2024年11月24日   投稿者:宮司

 前回のブログ「ボノボとチンパンジーの社会」では、家族(自然)共同体の中でヒトはヒトと信頼しあい、支え合い、協力することを体得するということを前提として論述した。

 しかし、現今の日本では、家族もしくは親族間の殺人をはじめとする暴力行為が多くなってきた。この点について考えてみる。

 次のグラフは、殺人事件全体のなかの家族親族間の殺人事件が占める割合を示したものである。実に総数の54.3%が家族親族間の殺人である。

 ところで、刑法犯全体数の戦後の推移を見ると、1948年と1949年頃は160万件近くあったものが、1955年頃に15万件ほど増加したことを除けば次第に減少し、1973年には119万件となり、それ以後は増加に転じ、1996年頃から著しく上昇し(原因は非侵入窃盗犯の増加)、2002年の285万件をピークに減少に転じ、2021年は最低の56万件となり、コロナ以降はまた少し増加傾向にある。2023年は70万件であった。 日本は比較的平和な社会である。

 次に、警察庁のデータにより、刑法犯検挙事件の全体の中の家族間での事件の割合と実数を2000年と2021年で比較した表を掲げる。

 さて、2000年と2021年の家族間の暴力事件で、刑法犯検挙総数との比率で見ると、殺人は32.5%から42.9%と増加している。しかし実数では482から387件と減少している。実は、殺人事件の総数が最も多かったのは1954年であり、その後年を追って減少し、ここ10年は横ばいである。それがデータに表れている。

 なお、上記の数は、検挙件数であり、刑法犯数とは、認知件数であるので、当然差が生じている。2021年の認知件数は56万件であるが、検挙件数は25.5万件である。

 そして、最も著しく増加しているのは、家族間の暴行事件であり、これは、刑法犯検挙総数の2.7%から29.7%、実数にして195件から6805件に増加している。これは、家庭内暴力や児童虐待が社会的に問題視され、表面化したことが大きな要因と考えられるが、実数の極端な増加を見ると、社会に何らかの問題があることを示している。このことについて考えてみる。

 家庭内の暴力事件の増加は、原因として、一般に被害者が相談するための信頼できる人物が近くにいないという状況が報告されることが多い。これは、社会の個人化による人々の孤立化を示している。

 つまり、家族や親族がいても、その成員が孤立しているということだ。これこそが、現代社会の最大の問題である。仮初の家族や親族がいても、真の意味で信頼し、支えとなってくれる家族や親族がいないという現実である。これは、名ばかりの家族、親族であるということだ。

 このことは、自著「近代化と人間社会」の中で詳しく論じた。近代化の中で、家族が解体し、成員が個人化していくので、仮に家族があっても形骸化し、親族は名ばかりのものとなってしまうことが多い。

 これに対し、前近代の人間意識は、近代的な自我意識が欠如していたゆえに、感覚的に家族やムラといった自然共同体が一体のものとして認識されているので、その中の成員が互いに助け合い、協力して生きるということは自明の理であった。

 しかし、デカルトが近代的自我を哲学理論上に発見し、そののちに啓蒙思想家によって個人の社会契約という概念が形成され、それは民主主義の土台となった。そして産業革命を経て市場経済が普遍化するとともに、個人間の取引を基礎とする経済システムが発達し、それが都市社会を生み出し、近代的な個人概念の世界的な普遍化をもたらす事となり、孤独な群衆が生まれる事となった。その中で、家族は徐々に形骸化され、解体され、核家族となり、単身家庭が増え、家族の一層の形骸化が進んだ。

 結果として、家族という形態をとって一緒に暮らしていても、互いに個人的な利害が対立した場合は、刑法犯罪につながる事となる。

 これを救うには、意志共同体、すなわち、何人かの個人が各々の意志を持って共同体を形成する、そういったグループをしっかり作ってその中に個人が加わることが大切となる。

 教育心理学の観察によれば、幼児を血縁のない人々が愛情を持って育てた場合、血縁のある家族の中で放置的に育てられた児童よりも、はるかに良好な人間関係と社会意識を持った大人となることが知られている。生みの親より育ての親ということは真実である。

 真の共同体の中で、個人は、人と人とが信頼し、助け合って生きることの大切さを意識的に身につけていく。単に家庭があればそれで良いのではない。互いに信頼と愛情で結びつくグループが必要なのだ。

 そして、その中で、理念としての自由と平等を理解し、社会意識を身につけて、人格的に完成されていくことが望ましい。

 近代化し、グローバル化しつつある現代社会では、都市化や個人化は避けられない。孤立化した諸個人を放置すれば、意識の弱い人々は犯罪の温床となり、社会病理の原因となる。

 これを救うには、小さなコミュニテイを社会の至る所に用意し、孤立した諸個人を受け入れ、社会の成員としての自覚を持たせると共に、人間相互の信頼感と幸福感の醸成に務めることが大切となる。そのようにして初めて、人々の孤立化が防止でき、政治的にはポピュリズムの発生を防ぎ、民主主義の信頼感を取り戻すことができるであろう。(2024/11/24)

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