テクノロジーと人間の幸福
2024年11月16日 投稿者:宮司
21世紀に入り、テクノロジーの進歩は凄まじいものがある。
特に、IT(情報)産業の発展の結果、近年ではAI(人工知能)の研究開発が進み、これを利用した生産過程の根本的な変化も視程に入ってきた。これからは、工場にはほとんど人間が必要でなくなっていくと考えられる。
サービス産業(第3次産業)には相変わらず人間の働く場所が数多く存在するが、それとても少しずつロボットに代わっていくであろう。すでに飲食店の商品の発注システムなどにそういったシステムが使われている。
本当に人間が必要とされる分野は、コンピューターやソフトを開発したり、それらを使って創造的な知的判断を行うことが必要な部署に限られていくであろう。
このような時代を迎えて、またぞろテクノロジーに対する疑問が提示されるようになった。すなわちテクノロジーの発達は人間の幸福に問題を生じさせるのではないかという論である。
このような議論は、過去、生産過程が著しく変化した時には決まって提起されてきた。結局、いつも、テクノロジー(技術)は諸刃の剣であり、要はそれを使う人間の意思の問題であるという結論となってきた。
しかし、今回は少し様相が違うようである。なぜなら、今後、必ず人間が必要とされる職場は、ITを使用する能力に優れている人々、テックエリートのみに開かれるので、そういった力を持たない人々は、働く場所が限りなく少なくなっていきそうだからである。
生産力はますます伸長し、働く場所はますます限られていく。そうなると、考えられる形は一つ。ワーキングシェアーによる労働時間の減少である。人々は、少ない労働時間で生活に十分な報酬を得て、余暇の充実した人生を送るようになる。
生産力が伸びていくのであるから、要は分配のシステムを如何に作っていくかが焦点となる。幸福論で問題となっている現代人の孤独や共同体感覚の欠如は、余暇の過ごし方によって修復されることが可能である。
そこで、ベーシックインカムのようなシステムが真剣に議論されることとなる。
これは社会システムとして、生活に十分な報酬を成員の全てに保証するシステムである。もちろん、これを成立させるためには、その社会の成員の全てが平等な権利を持ってシステムの構築、つまり政治に参加することが必要である。
一部の生産過程に携わる人々のみが政治を決定するのであれば、その他の一般大衆は捨てられてしまうので、そうなってはいけない。もちろん、市場は購買する人々がいて成り立つので、その意味でも、消費者としての大衆は必要となる。貨幣、もしくはそれに変わる装置は生産と消費を媒介し、生産力と消費の拡大に比例して拡大する信用システムとして機能することとなる。それゆえ、実体経済と関わりない博打場としての金融経済は抑制される必要がある。
結果的に、生産過程に主力として関与し、多額の報酬を得る人々は少数の富裕層となるが、一方では、主に消費者として市場に参加し、余暇を活用して人間的な幸福感を追求する大衆的な人々が存在するという世界が想定される。
そこでは、不断の技術開発が行われるとともに、政治的には成員(国民)が平等に政治決定に関与し、一部の人間だけがその他を支配するような権威主義的な体制とならないようにすることが重要である。
成員が平等に参加できる民主主義の政治決定システムの確保と、才能を持つ人々によるテクノロジーのさらなる進化による経済規模の拡大を両立することによってのみ、すべての人類の幸福感が達成されると思われる。(2024/11/16)