宮司のブログ

こんにちは。日吉神社の宮司を務める三輪隆裕です。今回、ホームページのリニューアルに伴い、私のページを新設してもらうことになりました。若い頃から、各所に原稿を発表したり、講演を行ったりしていますので、コンテンツは沢山あります。その中から、面白そうなものを少しずつ発表していこうと思います。ご意見などございましたら、ご遠慮なくお寄せください。

大東亜共栄圏の今昔

2013年3月20日   投稿者:宮司

以下は、2005年、東アジア共同体の議論が盛んなときに書いたものです。発表の機会はありませんでした。現在、TPPの問題が取りざたされていますが、以下の主張とは異なった、アメリカ主導のものになるようですね。

 大東亜共栄圏の今昔

明治維新は、尊王攘夷から尊王開国へと変化した。国の近代化が、欧米列強に対する抵抗のためには必須と理解されたからである。鹿鳴館もキリスト教の解禁も一夫一婦制の採用すらも、近代化のための技術や法制度を学び、富国強兵の国家を作るための方便であった。臥薪嘗胆、和魂洋才はそのころの合い言葉であったはずだ。

 西郷南州に始まり、宮崎滔天、孫文、岡倉天心、頭山満、石原莞爾と続く大アジア主義は、近代化による国力増強がなった暁には、欧米に対してアジア的倫理観に基づく価値観を提示しようとしたものだ。

 しかし、国が富み、兵が強くなってくると、過去の覚悟を忘れて、欧米的な価値こそが意味のあるものだと考える輩がでてきた。あるいは、増大する日本の人口を支えるためには穀倉としてアジア大陸を支配することが必要であるとする身勝手な議論が出て来た。欧米的な植民地主義の台頭である。

 実は、日本の明治から昭和二十年の敗戦に至る近代史は、この二つの勢力の葛藤の中にあった。

 昭和十八年の大東亜会議で正式に国策となった大東亜共栄圏は、明らかに大アジア主義に基づく主張であった。しかし、戦場では、植民地主義に基づく行為も繰り返されており、結果的にアジア諸国の信頼と同盟を確保することはできなかった。すべてが侵略であったわけではない。しかし、すべてが友誼と尊敬に基づいた行為であったわけではない。満州国は大アジア主義の理想を実現するための国家であったはずだ。しかし、日本人は満州人や中国人の全面的な信頼を受けることはできなかった。政策がぶれていたからだ。対中国政策にしても、大アジア主義の立場に立てば、孫文の後継者である蒋介石と連携して毛沢東軍に立ち向かい、また、中国の独立のために英米と戦うのが筋だ。なぜ南京政府を無視したのか?なぜ、国共合作を許したのか? 政策の失敗である。かくして大東亜共栄圏は幻となった。

 戦争が終結すると、米国は中国と結んで南京大虐殺をでっち上げた。また、ソ連と結んでユダヤ人の虐殺を誇大化した。何のために?米国が行った二十世紀最大の大虐殺を隠すためだ。いうまでもなくヒロシマ、ナガサキである。南京やアウシュビッツで虐殺が全くなかったわけではない。戦争である。被害者は出たと考えて良い。しかし、ヒロシマ、ナガサキは、人類が初めて手にしたジェノサイド(皆殺し)を可能とする武器の実験場であった。米国は悪の帝国となったのである。しかし、アメリカは常に正義を貫く国であることを欲した。今でもそうだ。だから、次々に虐殺や戦争犯罪をでっちあげ、アメリカは人類を救う善の国家であると思わせようとしている。米国民の大部分は原爆犯罪を正視せず、戦争終結に必要なことであったと考えている。日本国民の大部分は、原爆被害は直視するが、それをもって米国の犯罪性を主張せず、米国に迎合するものが多い。米国の情報操作に騙されているのだ。

 今、東アジア共同体の議論が盛んである。ヨーロッパ共同体、北米自由貿易共同体とならんでアジアが一つの地域経済圏になるのは必然である。それがインドやオーストラリアを含む大規模なものか、中国、韓国、日本を中核とする東アジアを主体とするものかの議論は別としても、第二の大東亜共栄圏が構想されているのである。

 人、物、金、情報が地球を自由に行き来する現在、グローバライゼーション(地球化)の議論が盛んである。そこで常に問題視されるのは、アメリカを源とする画一化によって世界の各地域の文化や倫理的価値の多様性が損なわれるのではないかという不安である。地球化の中で人類が共存するためには、一定のルールの共通化が必要である。しかしそれは文化や宗教、倫理の価値多様性を否定するものであってはならない。多様性の尊重こそが共存に最も必要な原理であることは過去の人類史が結論付けている。

 そこで、東アジア共同体は独自の文化論、倫理観をアメリカに対して提供するものである必要がある。日本は、過去の大東亜共栄圏を欧米的価値に流されることで失敗したが、今回は、日本の伝統と歴史に基づき、アジア的価値に寄って立ち、米国に対するカウンターバリュー(対抗価値)を提供するべきだ。

 日本の伝統的な文化や倫理の擁護者を自負する神社界にあっては、その使命は重い。しかるにややもすると神社界は、靖国の問題などで反中国、反韓国となり、一方、無批判に親米国となっているように思われる。歴史的に考えれば、日本は儒教国であり、多神教の神道を有する反一神教の国である。米国の価値観に迎合する理由は何も無い。中国や朝鮮に対する感情が、過去の歴史の侵略主義者たちによって作り出された蔑視観によるものだとすれば情けないことだ。

 今こそ、神社界は、大東亜の理想に立ち返り、アジアの伝統的価値に目を開き、欧米に対する批判者として振舞わなければならないと考える。

 (2005.12.19三輪隆裕)

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