社会(共産)主義国の実態
私は、1974年、東ドイツのライプチッヒを尋ねたことがある。家内とともに、新婚旅行を兼ねて、イギリス、フランスを回った後に、当時のゲバントハウス管弦楽団のチェロ奏者が友人だったので、ライプチッヒを訪れたのだ。彼の家を直接訪問することはまずいというので、ホテルで会って歓談した。
早朝に、ホテルの窓の外を見ると、薄暗い5時というのに、続々と群衆が通勤のために道路を歩いていた。皆、勤勉であることに感心したものだ。当時の共産圏の人々は、まだまだ熱心に国のために働いていたようだ。
1991年のソビエト連邦の崩壊を以て冷戦は終了し、グローバル化の時代が幕を開けた。その数年前、友人の保守の論客が、共産圏の東欧の国々を旅して日本へ帰ってきた時に、とても意外そうな顔をして、「三輪さん、共産国へ行ったら、家族道徳はしっかりしているし、人々が勤勉に働いていることに感銘を受けました。まるで、戦前の日本人を見ているようでした」と告げた。
私は、さほど不思議ではなかった。共産主義というのは、資本主義が成熟する以前の社会の姿を色濃く残しているのであろうと薄々感じていたからだ。
マルクスもエンゲルスも資本主義が成熟した後に、必然的に労働者革命が起こり、社会主義乃至共産主義の国家が誕生すると信じていた。しかし、資本主義が成熟期に入った英国や仏国やドイツ、米国、いや未だ農業国家であった日本でさえ、そのような国家は誕生しなかった。
逆に、資本主義が未成熟で、これから本格的な工業化、産業化を目指そうとしていたロシアで最初にそのような国家が誕生した。ロシア革命である。1917年のロシア革命の後に1922年ソビエト連邦が成立した。先立つこと51年前、パリ・コンミューンと呼ばれた労働者の政府があったが、僅か2ヶ月で崩壊した。
そして第二次世界大戦の後、ロシアに占領された東欧に次々と同じような国家が誕生し、彼らはCOMECONという経済同盟を1949年に結んだ。また、沿岸部のわずかな都市を除いてほぼすべての人々が前近代のままの生活をしていた中国で、中華人民共和国という共産国家が誕生したのも同じ1949年であった。
その後、COMECONの諸国は、1955年に軍事同盟であるワルシャワ条約を締結し、NATOと対立することとなる。冷戦である。
戦後はアジア、アフリカ、南アメリカで、多くの諸国が独立するが、それら前近代の社会を抱え込んでいる国家のいくつかが社会主義や共産主義を標榜する国家となった。モンゴル、ラオス、ビルマ、カンボジア、北ベトナム、北朝鮮、アンゴラ、セーシェル、エチオピア、モザンピーク、南イエメン、アフガニスタン、ガーナ、ギニア、セネガル、タンザニア、キューバ、これらの国々は一度は社会主義を標榜した国々である。今なお、社会主義を名乗っているのは、中国、北朝鮮、キューバ、ベトナム、ラオスの5カ国のみとなった。
この実態を見れば明らかなように、社会主義や共産主義の政府は、明らかに、資本主義の後ではなく、未だ資本主義が未成熟で、前近代社会を色濃く残している場所で成立している。
前近代社会へのノスタルジアによる反近代の動きとして、近代化を妨げるための国家として成立したことがその第一の理由である。指導者たちは、国家のGDPを向上させるために、近代的な市場社会を作りたい。そのための資本の原始的蓄積を、国家の指導により効率よく行うための装置として、また、一見進歩的な国家であることを示すための装置としてこのような国家の姿を利用したのが第二の理由である。
しかし実態は、指導者の思惑とは別に、国民は前近代的な生活にこだわり、近代化のための努力を怠り、結局社会主義体制は長く続かず、多くの国家は姿を変えていった。中国やベトナムは、資本主義市場経済のシステムを導入し、グローバル化の波に乗ることによってGDPを上昇させ、近代化を進めた。
こういった社会主義国家は、当初は指導者が提示する理想社会のイメージに賛同した国民が努力することによって、仮初のGDPの発展を遂げる。それを見た西欧資本主義国は負けじと労働者の権利を認め保護政策をとることによって、労働者の協力を得てGDPを伸ばそうとする。
しかし、しばらくすると社会主義のもとでは計画経済と指導層の締め付け、そして指導層(共産党)の腐敗に嫌気がさした国民が反発し、GDPの伸長が止まった。そして生き残りをかけて資本主義経済の導入を図るか、体制を変更していった。
一方、GDPの伸び率で勝った先進資本主義国は、冷戦終了に伴う資本主義諸国間の競争を勝ち切るために、特にアングロ・サクソン系の国家と日本は新自由主義の経済政策を取り、一層の経済成長を求めようとした。その結果、一部の労働者の貧民化が始まった。しかし、一方では、グローバル化に伴う移民の増加により、移民に伴う文化摩擦や雇用の問題の方が大きくなって、ポピュリズムが横行し出した。
第二次大戦後の経済競争の時代を概観すれば概ねこのようなものだ。
理想社会としての社会(共産)主義というイデオロギーは、20世紀に咲いた徒花であったといえよう。(2024/09/08)