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マルクス主義の誤謬

マルクス主義の誤謬

 私は、大学の卒業論文にマルクス理論の批判を書いた。
20世紀は国家の時代であったが、また共産主義の時代といっても良い。
1917年のロシア革命から、1991年のソビエト連邦の崩壊まで、おおよそ世界の3分の1は共産主義や社会主義に染め上げられていた。
 21世紀を迎えて、日本では、まだ共産主義へのこだわりを捨てきれない人々も多い。そこで、マルクス主義の誤謬を明らかにし、また、いまだになぜ人々を惹きつけるのかを考えてみる。


 マルクスの理論は、古典経済学、空想的社会主義、弁証法哲学の三つの要素から成り立っていることは、周知の事実である。

 まず、経済学の誤謬から見ていこう。
 第一に指摘されるのは、価格形成の問題である。マルクスは、当時としては最新のアダム・スミスの古典経済学の理論を取り入れたので、労働価値説、つまり、商品の価値はそれに込められた労働量によって決定されると論じた。シーシュポスの神話でも知られるように、労働は全てプラスの価値を持つとは限らない。そこで、この価格形成論で設定される価格とは、市場価値を反映したものではない。その結果、マルクス主義に基づいた計画経済の元では、価格が市場と合わず、それは市場の硬直性を生み出し、生産現場では、技術の進歩や生産過程の合理化の追求が生まれない。
 労働価値説に代わって、現在は、市場の需要と供給の関係性が価格を決定するとされる。したがって、労働も、より高度の技術や合理性を追求するものとなり、そこで、市場の健全な競争が生まれ、経済成長を促すこととなる。
 マルクスは、生産手段への人間の関わり方に注目し、生産手段を所有する資本家と、雇用され、生産労働を行う、生産手段を持たない労働者の階級闘争の過程として当時の初期の産業社会を捉え、将来的には、ますますこの対立が深まり、労働者が社会の多数を占め、絶対的に窮乏化するので、社会主義ないし共産主義革命は不可避であると説いた。しかし、現実には、資本主義が発達した社会では、労働者の人権を認め、誰もが起業して資本家となる道も保証され、階級の激しい分化と複雑化が生じ、今では、明確な区別も困難となっている。中産階級の出現は、政党の多様化をもたらし、ポピュリズムを生んだ。
 逆に、資本主義化が未成熟な社会であった、ロシア、中国で共産主義革命が成功し、それが、東欧やアフリカや東南アジアや南米などの発展途上国地域で広がりを見せたことは、社会(共産)主義が、資本主義の次の未来ではなく、農業社会から産業社会への自然な変化を通じて近代化と産業化に着手しそれを十分に達成することができない地域で、少数の知的エリートたちが権威主義の政権を作り、上からの近代化を推し進める際に極めて有効な手段となったことを示している。そして、このような社会では、近代化の成熟とともに、国民に経済的政治的自由への欲求が生まれ、民主主義と資本主義が成長するということが歴史的に証明された。すなわち、東欧の民主化やアラブの春の到来である。
 日本では、共産主義ではなく、伝統主義に基づく権威主義的な明治政府の主導で近代化が着手され、大日本帝国となり、その膨張政策の結果、第二次世界大戦の敗戦国となり、米国占領軍による民主化が半強制的に行われたために、現在のような中途半端な社会となっている。
 日本では、明治以来、反政府運動も、権威主義を内在したものが多かった。それは、日本人の、権威に従属的である前近代的な精神性と同期したのであろう。その名残が、現在の左翼の非民主的な構造に示されている。また、アラブの春を実現した多くの地域が、結果としてイスラムという宗教に基づく権威主義政権になっていったことや、近年、東欧でのポピュリズムが権威主義的な政党の進出を促していることは、人間にとって「自由からの逃走」(民主主義を捨てて権威主義に縋ること)が如何に自然であるかを示している。個人意識の覚醒と強靭化が必要とされる所以である。
 したがって、共産主義は、資本主義や民主主義の前段階であって、その後に来るものではないことが証明された。少なくとも歴史的現実として現れた共産主義においては、である。

 唯物史観はこのように、20世紀の歴史を通じて間違っていることが証明されたのである。

 次に空想的社会主義との関係を考えてみる。
 サン・シモンやフーリエの空想的社会主義は、社会の改良により人間がより良い状態となるということを目的としている。では社会をどのように変えるのか?産業革命による急速な近代化と資本主義の発達による、労働者の悲惨な状況を目の当たりにした彼らは、人間の根源的な自由と平等が保証されるべきであると考え、特に経済的な平等を得るための社会改良を唱えた。これは、実は、産業革命に先立つ市民革命を思想的に支えた啓蒙思想の延長である。啓蒙思想は中世のキリスト教的な世界観から人間を解き放ち、個人は根源的に自由で平等であるとする思想であり、民主主義の基となっている。
 人間が自由であるということは、特定の権力構造を作って社会的な支配形態に人々を組み入れていこうとする政府を拒否する。したがって市民革命が起き、個人を基礎とした社会契約によって政府が作られるという民主主義の基礎が作られ、国民国家が誕生してきた。しかし、18世紀後半に生じた産業革命による産業社会化により、その社会契約によって作られた初期の民主国家において、労働者が悲惨となる不平等な社会が生まれてきたので、ここで無政府主義と結びつく考えが生まれた。それがユートピア主義であり、共同体主義である。この流れは、今でも、一つの社会思想となっている。そこでは、財産が共有され、支配被支配の関係が拒否され、思いやりと協調により社会が営まれることが理想とされる。家族や村社会のような小集団の社会では、そのようなこともありうるが、近代国家のような大集団の社会では、それは実現できない。
 したがって、フェビアン協会のような、既存の社会のうちにさまざまな法規を作り、労働者の人権を保証し、経済的な不平等を公共の精神に基づく納税や寄付によって緩和し、初期の資本主義社会を民主的に改良していこうとする運動が生まれた。それが、現在のような改良型資本主義、あるいは社会民主主義と呼ばれる形の社会を作った。そこでは、社会契約に基づく民主主義の政府がなお生きており、民主政治のルールも進化した。
 最後に、マルクスとエンゲルスは、経済的不平等の解消を、生産関係の矛盾の解消によって行おうとして、科学的社会主義を唱え、暴力的な社会主義、共産主義革命を実現するべきであると説いた。ここでは、人間の経済的平等の実現に向けて、エリートが大衆を指導し、暴力革命により生産手段が共有化(国有化)される社会を実現し、その国家は、エリートにより管理運営され、最終的には人類社会全体がそうなったときに、完全に共産社会、科学的な理想社会が実現できるとしたのである。しかし、歴史が示すように、共産党エリートに指導された労働者・農民による暴力革命によって実現したのは、共産党員が支配する著しい権威主義国家であって、計画経済は破綻し、賄賂や情実が横行する前近代的な社会そのものであった。ロシア革命の当時、ロシアではブルジョワジーとみなされるべき資本家の数は人口の3%未満であり、それは、資本主義が未成熟であったことを示している。中国は、すでに列強が帝国主義となり、植民地を求めて競合していた時代に、通常ブルジョワ革命と見做される辛亥革命を経て、日本の侵略を招き、毛沢東が主に農民層を支持基盤として共産革命を遂行した事実は、これも、近代化が未成熟な中で、共産主義への移行が行われたことを示している。それは、中世的な支配構造を引きずっていた貴族・官僚・大地主階層と新興の資本家階層の打倒であり、決して成熟した資本主義の後の革命ではなかった。毛沢東の革命に先行した孫文の辛亥革命も、その意味では、ブルジョワ革命とは言えない。 

 最後にヘーゲル弁証法との関係である。
 デカルトが「我思う故に我あり」と喝破したときに近代哲学が始まった。「われ」という主体の認識から思索が行われるということは、一般に共通とみなされる事物の世界認識がどのように形成されるのかということが常に課題となる。認識論が哲学の中心命題となったのである。カントは、「もの自体」の概念を用いて、この命題を避けた。不可知論である。ヘーゲルは、これを主体、客体の弁証法を使って、時間軸の導入で事物認識の概念化と豊富化を説明しようとした。観念が先であったがために、これは「絶対精神」という不可思議な概念を生み、当時の絶対王政に哲学的な存在証明を与えた。
 マルクスは、ヘーゲルの弁証法を受け入れ、事物を認識の基礎に置くことを通じて、客観的な普遍の真理を追求しようとして、唯物弁証法と唯物史観にたどり着いた。
 しかし、事物の客観的な存在を自明として展開される認識論は、意識主体(人間)の事物への働きかけによる事物の変化を容認するが、意識主体の事物についての認識の豊富化による意識の変化には無関心となる。例えば社会構造は事物として実在しているとみなされるために、社会構造を変えれば個々人の社会意識は必ず同じように変わるはずであると考えることとなり、それは硬直的な社会変動論を生み出す。このような論理構造では、意識が硬直的に理解されるために、経済学、政治学の領域に至るまで、硬直的な学問を生み出す。

 本来、人間の意識と社会構造とは常に互いに変化し続けバランス点を探っていくはずであるが、そのような解釈は生まれてこない。
 しかし、この認識論の課題は、最終的に心理学の研究によって解決された。すなわち、発達心理学による「間主観性」の発見である。現象学の深い洞察によって、主体の主観的認識と事物の客観的認識の溝は見事に埋められたのである。

 現在、社会学で主流を占めている、社会を構成する人々の社会的相互作用の積み重ねによって社会構造が作られ、また変化していくという考え方は、このような認識が基礎となっている。

 最後にマルクス主義の魅力について記しておく。
 誰しもが青春があり、その時期には我欲を超えて、人々が心豊かに物に溢れ友情と共感を持って暮らすことのできる社会を夢見るものだ。そういった時期に、断定的に、こうすればそのような社会が実現するという、一見科学的な理論に触れ、しかもそれが歴史的に実証されていると誤解すれば、取り憑かれるのは簡単である。そういった怪しげな魅力がマルクスにはある。
 しかし、マルクスの理論の誤謬を洗い落としていけば、残るのは、そのような若者の単純な正義感と理想主義である。「人間は本来的に協力し共存する存在である」とマルクスは言う。実はここがマルクス理論の最大の魅力ではないかと推察する。      (2023/07/30)

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